山背大兄王の菩薩道

              山背大兄王の菩薩道
 
 インドに起こった初期仏教徒達にとって「布施」(施す)は、徹底的に実行すべきものであった。
原始仏典には、釈迦が前世で飢えたトラに命を投げ出した事が、今世における悟りの重要な契機となったと記録されている。
経典の中には、財産のみならず、国、妻子、自分の身体さえも捨てて、他人に与える事が称揚されていたのである。
 
インド人は徹底した無一物の生活を理想としたのである。
 
聖徳太子の息子である山背大兄王にとっても同じ事である。
彼は、太子に「善を成せ」と教えられた。
そして、善とは利他の菩薩業である。
 
ゆえに蘇我入鹿に攻められた時、徹底的に抗戦し、勝つ道も考えられたが、
それは「民に迷惑である」と退け
一族郎党自害して果てたのであった。
これをもって太子の血統は絶えている。
 
私は個人的には、戦って、勝って欲しかった。
しかし、仏教徒としては、山背大兄王の道もあるだろう。
 
ところでキリスト教では、自殺は地獄に落ちる大罪とされているが、この山背大兄王の自刃や毒杯を飲んだソクラテスのような場合、自殺とは言えないと思う。ソクラテスの場合、例え杯を拒否しても殺されるのであり、事情は山背大兄王も同じである。
迫り来る敵の手にかかるくらいなら、自ら死を選んだ方がよい・・・と言う訳である。