従軍慰安婦問題・・・お蔭参りと性の問題

<「お陰参り」が流行した直後の天災>
 

江戸時代には、国粋主義の思潮が成長し、天皇中心主義へと成熟して行ったのである。又同時に民間において伊勢神宮を参詣する「お陰参り」が流行したのである。この「お陰参り」は買春旅行でもあったので、東海道には売春宿が乱立し、遊郭の繁栄をもたらしたのであった。


 
江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭の一つ当時油屋・備前屋・杉本屋・は三大妓楼として特に有名でした。
古市参宮道はお伊勢参りともに栄えました。 参宮客の往http://www.dairinji.com/images/furuichi/sugimotoya.jpg来で賑わい、参宮を済ませた人々の精進落としの場として賑わい、その栄華を誇りました。
 
 



こうして「お陰参り」が流行した直後には必ず、天に異変が起こり、大きな反乱、天災・飢饉が起こったのである。
「お陰参り」は1650年、1705年、1771年、1830年に流行したが、
1650年代直後には由比正雪の乱(1651)、承応の変(1652)、佐倉一揆、明暦の大火(1657)が起こり、
1705年の直後には、細かい天災が生じながら1730年の享保の飢饉が起こり、
1771年の直後には1780年天明の飢饉があり、
1830年の直後には1835年からの天保の飢饉が起こり、悲惨な状況が相継いだのであった
 
すなわち、売買春旅行を伴う伊勢信仰という邪悪な信仰の繁栄に天が怒りを発したのであった。
それゆえに、江戸時代の3大飢饉は全て、「お陰参り」の流行の直後に引き起こされたのであった。