大日本帝国の体質

http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/2281129.html
 


 
子供の頃の話です。
小松左京『戦争はなかった』と言うSFを読んでいると「理由もなく、上級生や教師に殴られ・・・」「殴られっぱなしの少年期をすごし・・・」と書いてありました。
 野坂昭如の本にも「上級生」「教師」「将校」などに殴られ続けた・・と書かれていた。

 それで私は父親に聞きました。

「どうして戦前は理由もなく子供を殴っていたの?」

 父親はうつむいて何も言いませんでした。
彼は昨日まで「天皇バンザイ」と叫びながら子供を殴っていた教師達が、敗戦後、ニコやかに「民主主義バンザイ」と叫ぶその姿に痛く傷ついていました。

 同じ質問を叔父にすると叔父は苦虫を噛んだような顔で
「時代がそうだった。そう言う時代だった」と答えた。

まだ、小学生だった私にはこれ以上追求できませんでした。

ただ、
戦争の、
アマテラスの、
暗い情念の世界を感じていた。

そして「大人になったら、必ず追求しよう。」と決めていた・・・。
 

 
この疑問に対する答えを一部与えてくれたのは
 
『戦後の右翼勢力』
堀幸雄著
 
でした。
 
以下
はじめに
より
 


 
なぜ右翼に関心を持つのか。それは多分私の子供のころの生活体験と無関係では無いように思われる。
「時代があんな時代だった」と言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし私が小学校へ上がって以来、耳にたこができるほど聞かされてきた天皇や神国日本、それから忠君愛国等等についての色々な話や体験を私はそう簡単に忘れる事はできない。おそらく私と同世代の人たちは、皆同じ体験を持っているはずである。その時代私達の毎日は皇国賛美に明け暮れた日々だった。そして天皇や皇国の背後には不思議な事にいつも「神」がつきまとっていた。
天皇は現人神であり、天皇の日本支配は神勅によって与えられていた。私達はそれに対して、一片の疑問さえ口にする事は許されなかった。私達はなんと言う不幸な民族だったのだろうか。そして日中戦争が始まると、その天皇、皇国賛美は一層オクターブを高めた。神社への参拝が学校行事として始まった。神社は鎮守神から軍神に変わった。
もちろん当時、私がそのような思想動員の意味を理解していたわけではなかった。しかし天皇や皇国賛美を説教されるたびに、ぼんやりした疑惑は次第に深まっていった。中学生になった時には、もはや教師たち、あるいは新聞、ラジオを通して流されてくる「神国日本」式の話は、信用できなくなっていた。多分それは素朴な合理主義にすぎなかったろう。教師や配属将校たちの言う戯言など恥ずかしくて聞いてはいられなかった。彼らにしてもそれを信じていないのが本当ではなかったろうか。仕方なく喋っていたのではないかと思う。しかしそうでもなさそうな人も何人かはいた。信じていないなら、恐らくあんな喋り方はしなかったろうから。ともかくこうして強制された天皇支配下の日本の非合理性は、苦痛以外の何ものでもなかった。「神国日本」を典型的に演じたのはむろん軍人だったが、彼らの精神主義が高じてくるとそれは暴力に変わった。一体何の権利があって軍人は国民に暴力を振るうのか。戦争のさなかだと言うのに、国民は味方からいじめ抜かれた。
 
━<略>━
 
だが考えて見ればそれらは全て天皇に収斂されていた。天皇が全ての非合理性の根源であった。そしてその天皇制を国民に強要し、国民を痛めつけてきたのは、軍人を始めとする右翼的諸勢力であった。・・・・・・現人神とは何たる詭弁であろうか。そして、君側の奸を許す現人神とは何たる逆説だろう。私は神聖な天皇を吹聴するだけでなく、国民にそれを暴力的に押し付けてくる軍人や右翼に反感を持たざるを得なかった。
 


 
 ここには「殴る理由」が一部、理解されている。
 
「神国日本」を典型的に演じたのはむろん軍人だったが、彼らの精神主義が高じてくるとそれは暴力に変わった。一体何の権利があって軍人は国民に暴力を振るうのか。戦争のさなかだと言うのに、国民は味方からいじめ抜かれた。
 
つまり、そう言う事だ。
大日本帝国において、多くの国民は被害者であった。
軍人や右翼はいばりちらし、暴力をふるい苛め抜いたのである。
もちろん被害者というものは加害者によういに転化するものではある。
 
かくして軍人は国民を理由も無く、殴り、
教師は生徒を理由もなく殴り
先輩は後輩を理由もなく殴る
地獄が地上に顕現していたのである
 
だがこんな狂った時代にも、神は「救世の菩薩」を地上に送っていたのである。
それが賀川豊彦であった。