賀川豊彦の聖なる人生

昔、賀川豊彦の感じた日本の右傾化

昭和の初めころ、賀川豊彦の主導する「神の国運動」が始まった。「神の国運動」は日本キリスト教の歴史の中でもっとも成功した伝道活動の一つだった。大正時代のベストセラーであった「死線を越えて」の作者として有名人だった賀川の講演はどこでも満員であ…

第一回普通選挙

1925年、普通選挙法が成立 28年、田中義一内閣で施行。 賀川は無産政党を立ち上げた。 27年エルサレム世界宣教会議への出席を断わり、選挙に力を注いだ。 賀川書簡(HダッピングからHピートへの手紙) 「・・・私は6人のクリスチャンの友人を国会…

賀川と李承晩

1952年 李承晩大統領は「李ライン」という海域を設けて、日本の漁船が次々に拿捕される事件が起こった。 プリンストン大学の同窓生であい、クリスチャンである李承晩大統領に賀川は公開書簡を1955年の毎日新聞に掲載している。 それによると、日本の植民…

賀川と蒋介石

1939年、蒋介石夫人宋美齢のラジオ放送を、南京に赴任していた黒田四郎牧師は聞いていた。 「私は日本が憎い。暴虐をつくす日本軍を許すことができない。しかし私は日本国を滅ぼしてください、日本軍を全滅させてくださいと祈る事ができない。なぜなら日…

貧民窟に入る

賀川豊彦は「悪」を「宇宙悪の問題」と呼んだ。(『貧民心理の研究』1915) かれは「悪を跳ね返して進む一つの力がある」と言う。(『イセスの宗教とその真理』1921) そしてこれを生涯の課題としていた。(『宇宙の目的』1958) キリストの十字…

滅びるね

1908年、日露戦争の勝利に国民が”やれ一等国だ”と浮かれていた頃連載されていた、夏目漱石の『三四郎』には一つの予言がなされていた。 熊本から上京して来た三四郎と車中で知り合った広田はこう会話する <広田が呟くように、 「いくら日露戦争になって、一…

国家神道が大日本帝国臣民の不幸の源である

国家神道が大日本帝国臣民を不幸にした テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史 人間は何を信じるか?によって生き方が変わるのです。 生きる方向性・・・行動が変わる。 戦前の日本人は 「天皇は神(アマテラス)の子だ。だから、神風が吹く。だから戦…

何が大日本帝国を追い詰めたのか?

現代の歴史論争の中で、よく言われる事だが、例えば先の戦争について「アメリカが日本を経済的に追い込み、戦争を仕掛けさせた」とか言う意見がある。 確かに、第二次大戦前の大日本帝国は経済的に追い詰められていた。 その原因には、アメリカなどの圧力も…

大日本帝国の間違い

大日本帝国の間違い それはどこにあったのか? 答えは日蓮の『立正安国論』のこの言葉にある。 「正しい宗教に奉じなければ、国に異常が生じ、やがて滅ぶのである」 大日本帝国が国教とした国家神道は、間違った宗教だったので、その後、多くの天災と飢饉、…

国家神道の聖典『教育勅語』成立秘話

国家神道の聖典『教育勅語』の文章化は、枢密顧問官元田永采(うりざね)と法制局長官井上毅が担当したが、両者には思想的へだたりがあった。元田は保守論客で国教として神道と天皇崇拝の義務を主張し、この意見が取り入れられて『教育勅語』が作られたのだ…

外国人には分からないと言う人もいるが客観的意見であるとは言える

「靖国参拝は無用な挑発」 http://blog.goo.ne.jp/beach_girl より転載 ニューヨークタイムズ 10月18日 社説 みずからを当世風の改革者として大々的に売り出した選挙を終えたばかりの小泉首相は、このほどさっそく、日本の軍国主義がのこした最悪の伝統を公…

大日本帝国の体質

http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/2281129.html で 子供の頃の話です。 小松左京の『戦争はなかった』と言うSFを読んでいると「理由もなく、上級生や教師に殴られ・・・」「殴られっぱなしの少年期をすごし・・・」と書いてありました。 野坂昭如の本…

なぜキリスト教は戦後広まらなかったのか?・・・・その3

キリスト教は不思議な宗教である。 古代ローマ帝国において多くの篤実な信徒達が〔十字架〕に死んで行った。 はっきり言えば殺されたのである。 にもかかわらず、キリスト教はついにローマ帝国を屈服させた。 一人の信徒が十字架につくと二人の人が伝道され…

なぜキリスト教は戦後広まらなかったのか?

「あなたがたは、地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」(マタイ5/13) クリスチャンなら必ず知っているはずの、山上の垂訓に…

賀川の失敗・・・その1

http://okwave.jp/qa/q1397067.html より転載 賀川豊彦は 海外では日本の20世紀を代表するクリスチャンと認められており、アメリカやヨーロッパで伝道を行っています。 また、戦前から「世界連邦」の設立を唱えたり、太平洋戦争前には平和使節として日米関…

賀川の生きていた時代

賀川の生きていた時代はこんな時代だった。 (転載開始) ドキュメンタリー映画「草の実」ー2.4事件の教師たち http://www.naganoeiken.jp/kusa02.html あらすじ 壺井栄の名作「二十四の瞳」の中に、主人公の大石先生が教材として、生活綴り方「草の実」を持…

賀川豊彦の聖なる人生への誘い

最後に残ったこの一枚 以前、賀川豊彦先生を個人的に知っている方が、こんな話をなさっていました。 賀川先生は若い頃、肺病持ちの体で、本当に弱って青ざめた顔をしていました。しかし、 「俺はもうすぐ死ぬんだから」 と言って、貧民窟に入って、捨て子を…

フルベッキのまいた種

「賀川豊彦の聖なる人生」について書きたいのだが、その前に明治以来のキリスト教全体について書いておく必要があるだろう。 日本に来た宣教師達の多くは、自国での名声や安逸な生活を捨てて、ただ己が内なる神の声に聞き従った良心的な人達であった。彼らは…

ドクトル・ヘボンの夢

ドクトル・ヘボンの夢 日本ではヘボン式ローマ字の考案者、『聖書』の翻訳家として知られるヘボン博士は腕のよい医師としてもしられるが、夫婦ともども熱烈なる宣教師であった。 19才の冬、ペンシルバニア州ミルトンの長老会に参加した時、彼は突然自分が…