国家神道の聖典『教育勅語』成立秘話

国家神道聖典教育勅語』の文章化は、枢密顧問官元田永采(うりざね)と法制局長官井上毅が担当したが、両者には思想的へだたりがあった。元田は保守論客で国教として神道天皇崇拝の義務を主張し、この意見が取り入れられて『教育勅語』が作られたのだが、西欧的合理主義者であった井上は条件をつけ、国務上の詔書と区別して、明治天皇の個人的著作とし、内容を道徳宣言にするように求めた。
こうして「朕思うに、我が高祖・・・」という出だし、儒教的徳目の列挙、「義勇公に奉じ、持って天壌無窮の皇運を扶養すべし」と述べ、これらの道徳を天皇に捧げる事を命じた『教育勅語』の内容が生まれたのである。
後半において、この道徳を絶対化し、「・・・之を中外(国内、国外)に施して悖らず」と述べた。
つまりは、この道徳と天皇の崇拝には、人類の普遍的価値がある・・・と唱えているのである。
 
これは、そもそも維新政府の基本となった平田篤胤復古神道が、キリスト教にライバル心を燃やし、キリスト教国に対抗した神道国家を志向したからである。
確かにキリスト教には人類の普遍的価値があったが。