明治・大正・昭和 光と影

明治・大正・昭和 光と影 


テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史

              1、不幸と幸福
昭和と言う時代は敗戦の他の時代に較べて、さまざまな意味
幸福な時代であった。第二次大戦時の軍国主義の狂気や
空襲と原爆による被害、敗戦後の一時的どさくさ、混乱は
あったが、国全体が始めて手に入れた宗教と思想の自由、
平等思想下、めざましい経済復興をなしとげたのであっ
た。とりわけこの自由な空気は、宗教人や思想家にとって
は、何よりも切望されたものであった。江戸時代において
は、ただ単にイエス・キリストの御名を唱えただけで、斬首の
刑に処せられた。時代は降って、明治以降の時代において
も、国家神道を批判し、神社参拝を拒絶するような行為は、
帝国憲法第28条における「・・・臣民たるの義務に背く」もの
であったから、エスの名を呼ぶ事はできても、信仰貞操
守る事は実に難しい事であった。さらに刑法の不敬罪や後世
に極めつけの悪法として汚名を残した治安維持法(1925年)
の助けを借りて、徹底的な思想弾圧・宗教弾圧がなされたの
である。

大正末期から、昭和初期にかけて大本教第一次弾圧(大正
10)、同年京城神宮創建、ほんみち第一次弾圧
(昭和3)上智大学靖国参拝拒否が問題(昭和7)
濃部達吉を天皇機関説のため告発(昭和10)同年大元
二次弾圧、ひとのみち教団不敬罪告発(昭和12)などな
ど・・・。昭和12年までに、新宗教の大物達を弾圧した政府
は、宗教団体法成立後(昭和14)その矛先を主にキリスト
教に向けた。
この法案の成立に際して平沼騏一郎(内閣)は次のように発言
している。

「いずれの宗教に致しましても、我が国体観念に融合しなけれ
ばならぬと言う事は、是は申すまでもないことでございます。
が皇道精神に反する事はできないのみならず、宗教に
よって我が国体観念、我が皇道精神を滋養するという事が、
日本に行われる宗教としては、もっとも大事な事であると考え
るのであります。・・・宗教の横道に走るといふことは是を防止
しなくてはならぬが、これがためには、これにたいして監督を
加える事が必要であろうと思います。」

きちがいに刃物とはこの事だ。


 2、 敗戦は光をもたらした

信教の自由は完全に空洞化された。国家の宗教たる神社の
神々の前に、全ての人がひざまずかねばならなくなった。
宗教団体法の恐ろしさは、文部大臣の責任下に、すべての
宗教・思想の監督・調査・取締りが投獄・殺傷を伴いながら、
国家権力の手によってなされた事である。こうして創価学会
創始者である牧口常三郎不敬罪で投獄され、拷問を受
け獄中死した。
1300年も前の律令体制下でなされた悪法「僧尼令」の延長
線上にあった、この悪法を手に、明治政府当初の「切支丹邪
宗門」の征伐を始めようとしていた。
昭和15年(1940年)4月灯台社取締りを皮切りに17年の
ホーリネス職員一斉検挙、田川大吉代議士の検挙、朝鮮で
も神社参拝に反対するキリスト者2000余名が投獄され、
獄死者は50名に登った。教会220が破壊されたのである。
内村鑑三の弟子であった矢内原忠雄は、東大の教壇を追わ
れた。
むろん、こうして弾圧されたのは、むしろごく少数の信仰の
良心に忠実な人々であって大半は権力に迎合し神権天皇
に加担し、軍国主義の旗を振った。

このように、信仰の自由と人権が著しくそこなわれた時代から
見れば、敗戦というものがたとえ一時的混乱を招いたとしても
日本人にとって何よりも幸運であった事がわかる。

ある人はこう書いている。

母から聞いた話では、「その当時は赤紙がくると行きたくなく
ても行かないと家族がみんなから「非国民だ」と白い目で見ら
れて住めなくなるから行かざるを得なかったとか、戦争反対
を少しでも言うと赤だと言われて特高に捕まり獄死した人が
たくさんいた。。。とか、本当は福岡に原爆が落ちるはずだ
ったけど、その時福岡の上空は雲で覆われていてアメリカ軍
が雲のないところに落としたら長崎だった。」とかいろいろ聞
きました。
終戦が近つ”くにつれて、田舎にまで軍の人が来て「鉄がた
らない。」と言って各家にあったフライパンやら鉄に関連す
るものは全てもっていかれたということなんですが、それを
見ていた私の叔父が「この戦争負けるな。」と言ったのを祖
母が「そんなこと言ったら捕まるから絶対に外では言っては
いけない。」と諭していたそうです。
特別攻撃隊(特攻)なんて生きて帰ってきたら恥とまで言わ
れて人間爆弾を余儀なくされましたし、
昔の人たちは本当に気の毒だったと思います。
昔は自由なんて何一つなく、人権もなかった時代でしたが、
今は本当にいい時代ですね。

この手の話は当時を生きていた人の多くから聞けるはず
である。

韓国人は日本の敗戦を「光復」と呼んでいる。
光が復活したと言うのだ。
それは日本人にとっても同じ事である。
明治開国以来、坂本龍馬と彼を師と仰いだ自由民権論者達が求めていた権利をやっと国民は手に入れたのである。