「土地調査令」

 
などの最近の嫌韓論、反韓論者の主張によると、
 
朝鮮農民は我が国の統治により<農民はいっそう苦しい立場におかれた>などという事はない。ましてや朝鮮人の書くような「日帝は彼らの食料不足を解決するために、韓国から米を略奪することに力を注いだ。そのため韓国の農民は彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」などということも絶対にない。
などと言う。
 
さらには
 
朝鮮半島の米の生産量は大きく伸びている。これは日本が治水、品種改良などによる成果であるが、それ以上に移出が伸びているのは、米以外に換金作物がないために、日本に米を移出する事により農家が現金収入を得たいがためである。
つまり、自由経済の当時においての朝鮮半島の米の内地への移出は、すべて朝鮮半島の事情によるものである。
このために、朝鮮総督府は緊急に雑穀を輸入して、朝鮮人の食するカロリーに変化がないようにした。(歴史を偽造する韓国 中川八洋著 p六八)
 欧米の植民地主義とはまったく違う、日本民族の誇るべき善政である。

 
と述べて日本の植民地支配は善政であったと言う。
だが、それは本当であろうか?
 
当時の状況を考えてみよう。
 
状況①日本人が多くの主要ポストについていた。
日韓併合後、朝鮮総督府、警察、裁判所、学校などには渡韓した日本人も朝鮮人も仕事していたが、全ての主要ポストの多くは日本人で占められていた。
およそ何十万人かの日本人が2000万人もの朝鮮人を支配していたのである。(人口推移あり)
対ソ防衛と朝鮮人が反乱を起こさないように軍が常駐していた。
 
 このような状況で農業だけは朝鮮の主要産業として朝鮮人の手にあったとは考えられるだろうか?
彼らの言い分によると農業は朝鮮人のものだったらしい。
 
状況②日本内地の農地政策を真似て半島の農地政策はなされた
ところで、日本内地の農地政策は一部の地主がいて、その土地を耕す小作人がいた。小作人は地主にその収穫の半分を超える小作料を納めていた。
 アメリカが日本を占領した時、まずやったのが「国家神道の解体」であり次に「農地改革」であった。

    敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行     った。 これにより、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作    人に売り渡された。これは、全国的に行われ実に7割余りの農地が地主から小作人のものに換わった。

 
 つまり、国内の地主制度を真似たと言う事は一部の大地主が多くの小作人を従えていた・・・と言う事になる。
ところでこの地主達は朝鮮人だったのであろうか?
あなたはどう思うか?
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮総督府制定の「土地調査令」が朝鮮の農地に適用された経緯を聞いていた。そして、大正元年(一九一二年)から大正八年(一九一九年)にわたる土地調査事業が、土地の所有権という近代法の制度と朝鮮の慣行法的土地利用制度との関係で、農村社会に大きな影響を与えている.
 土地調査事業を基本とする農地利用権にたいする行政的措置が原因となって、多くの耕作農民が小作農化し、これに伴う農村の貧困も進行したと言われていた。このことが大正末期から昭和の日支事変に至る間の日本の鉱工業の発展期と平行して、労働者の需要の増大に伴う朝鮮人労働者の日本本土移住となった.。
 
と言うのが韓国側の主張である。

つまりは、こう言う事らしい。
当時の朝鮮の人達には、西洋的な個人所有の概念はなかった。
おおむね土地は村のモノであり、先祖代々の土地は各家にあったが、それは明確に境界があるようなモノではなかった。
そこに「〇〇までの期日に土地を自己申告しろ」と総督府がお触れをだした。
しかし、多くの人々が申告しなかった。
そしてある日、畑に行く。
すると日本人がいて、「土地所有の証明書」を見せて、「この土地は俺のものだ」と言う。
このようにして、多くの朝鮮人が土地を奪われたのだと言う。
奪われた人々は小作人となり、一部は日本本土に移住した。
これが今の在日の人達の先祖らしい。
 
この話は本当だろうか?
確かに日本からはたくさんの農業関係者が渡韓したが、彼らは彼ら自身の土地をどうやって手に入れたのだろうか?植民地下においては多くの農家が米を作るようになり、その米は内地に送られた。結局のところ、その利益は誰の手に渡っていたのだろうか?
そこがポイントであろう。