『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』を読んで

 
           なぜ、書かれていないのか?
 
この『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』(坪井幸生著)と言う本は、当時の朝鮮の実情を知る上ではあまり意味のない本である。
作者が警察官僚となった1938年以来の共産主義との闘いは書かれているが、それよりも総督府にとって重要であったキリスト教への迫害が少しも書かれていないからである。
総督府キリスト教を抹殺しようとした。
その事は韓国と日本のキリスト教有識者のほぼ全員が知っている。
その過程は激烈であった。
その走狗となったのは警察であった。
 
1938年6月末、日本政府は同じ長老派系統の日本基督教会大会議長富田満を派遣し、朱基徹牧師ら朝鮮の長老派を説得させた。「神社参拝は宗教ではない」と主張する富田に対し、朱基徹は「神社参拝は十戒に反する偶像崇拝」だと答えた。こうして警察が踏み込み、「お前達が信じるキリスト教の神様と、天皇陛下とどちらが偉いか」といって牧師達に徹底的に尋問し「日本の主権下にいるのだから天皇陛下を拝め」と言って「ハイ」と答える者のみ許し答えない者は拷問した。この神社参拝拒否事件で教会200が破壊され、2000人が投獄、朱基徹牧師をはじめとする50人殉教している。以来、このような迫害は絶えずなされた。
 
こうした迫害、拷問を伴う尋問は1945年の敗戦まで続いた。
保安課事務官(後に主任、警察部長を歴任)であった作者が知らないはずがない。おそらく意図的に書かないのであろう。
 
             有益な情報
 
しかし、面白い部分もある。
京城帝国大学に受かった作者は朝鮮で生活するのだが、大学の朝鮮人の友人と話しながら「私は朝鮮語はわからないが・・・」(P48)と述べている。
つまりは、城大では朝鮮の言葉では無く、日本語で授業もなされていたと言う事だ。
さらにその「入学試験には「源氏物語」「平家物語」「徒然草」などからの出題も多く・・・」(P45)と書かれている。
当然、入試も日本語でなされた。
これは情報の宝庫である。
つまり、当時(1933年頃)の朝鮮の高等普通学校においては、日本語や日本の古典が教えられており、それを勉強しなければエリートになれなかったのである。
そしてこの京城帝国大学以外の大学は作れなかったと韓国の歴史教科書は述べている。
韓国人は私立大学を作ろうとしたが、そのつど総督府警察による迫害を受け、計画は頓挫したのだと言う。
 
これを称して「民族抹殺政策」と現在の韓国人は呼んでいる。
 
さらにこう書いている。
「当時の朝鮮では〔皇国臣民の誓詞〕という3か条の短い文言が、会合の場合などに一斉に合唱される例になっていた。
その誓詞とは 1、我等ハ皇国臣民なり、忠誠以ッテ君国に報ぜん 2、我等皇国臣民は互いに親愛協力して以って団結を固くせん。 3、我等皇国臣民は忍苦鍛錬力を養い以って皇道を宣揚せん。
と言うものだが・・・・・
その他、朝鮮では正午のサイレンの吹鳴と共に英霊に対して一分間の黙祷を励行する事になっていたが・・・」
(P112~113)
こんな事をやらしていたのか?
これでは靖国問題に神経過敏になるわけだ。
 
ところでこの合唱は朝鮮語でやったのだろうか?
そうでは無い。日本語でやったのである。
 
                    朝鮮語の使用禁止
 
やがて、第二次大戦の始まる━1940年頃になると学校での朝鮮語の使用は禁止されたと言う。(『韓国の歴史━国定韓国歴史教科書』P362より)
この本にも「昭和12年以降は戦時体制が強化される一方で、日本語の使用の奨励、創氏改名の推進、徴用・徴兵が行われていった。」(P36)と書いてはいるが、残念ながら具体的な事が何も書かれていない。
 
また、軍国主義に対して「狂気、暗愚、亡国への無責任きわまる変心というほかない。」とまえがきに書いているのだが、例によって具体的な事はほとんど書いていない。
 
さらに解説の荒木信子氏は、「・・・ハングルで電報が打てたと言う事実ひとつとっても、朝鮮語を禁じたという通説とは矛盾することがすぐわかる」と書いている。
一体何を勘違いしているのだろうか?
当時の韓国人の話では「学校では」という言葉がくっついているのである。
学校では、戦争が進むに連れて皇民化政策が進み、韓国語の使用が禁止されるようになった」と言う話だ。
世間一般に韓国語の使用を禁止できるわけがない。
「韓国語を使用するな」と布告しても無理に決まっている。
あくまで、学校という閉鎖的空間での話である。
だから、その時代に子供だった韓国人は日本語が話せる人が多いのである。