かつて悪盛んにして天に勝つ時代があった

テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史

   1、大日本帝国軍の意味なく子供を殴る体質

子供の頃の話です。
小松左京の『戦争はなかった』と言うSFを読んでいると 「理由もなく、上級生や教師に殴られ・・・」 「殴られっぱなしの少年期をすごし・・・」 と書いてありました。
 野坂昭如の本にも 「上級生」「教師」「将校」 などに 「殴られ続けた・・」 と書かれていた。
 それで私は父親に聞きました。
「どうして戦前は理由もなく子供を殴っていたの?」
 父親はうつむいて何も言いませんでした。
彼は昨日まで「天皇バンザイ」と叫びながら子供を殴っていた教師達が、敗戦後、ニコやかに「民主主義バンザイ」と叫ぶその姿に痛く傷ついていました。
 同じ質問を叔父にすると叔父は苦虫を噛んだような顔で
「時代がそうだった。そう言う時代だった」と答えた。
まだ、小学生だった私にはこれ以上追求できませんでした。
ただ、
戦争の、
アマテラスの、
暗い情念の世界を感じていた。
そして「大人になったら、必ず追求しよう。」と決めていた・・・。
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この疑問に対する答えを一部与えてくれたのは
 『戦後の右翼勢力』 堀幸雄著でした。
以下 はじめに より

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なぜ右翼に関心を持つのか。それは多分私の子供のころの生活体験と無関係では無いように思われる。
「時代があんな時代だった」と言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし私が小学校へ上がって以来、耳にたこができるほど聞かされてきた天皇や神国日本、それから忠君愛国等等についての色々な話や体験を私はそう簡単に忘れる事はできない。おそらく私と同世代の人たちは、皆同じ体験を持っているはずである。その時代私達の毎日は皇国賛美に明け暮れた日々だった。そして天皇や皇国の背後には不思議な事にいつも「神」がつきまとっていた。
天皇は現人神であり、天皇の日本支配は神勅によって与えられていた。私達はそれに対して、一片の疑問さえ口にする事は許されなかった。私達はなんと言う不幸な民族だったのだろうか。そして日中戦争が始まると、その天皇、皇国賛美は一層オクターブを高めた。神社への参拝が学校行事として始まった。神社は鎮守神から軍神に変った。
もちろん当時、私がそのような思想動員の意味を理解していたわけではなかった。しかし天皇や皇国賛美を説教されるたびに、ぼんやりした疑惑は次第に深まっていった。中学生になった時には、もはや教師たち、あるいは新聞、ラジオを通して流されてくる「神国日本」式の話は、信用できなくなっていた。多分それは素朴な合理主義にすぎなかったろう。教師や配属将校たちの言う戯言など恥ずかしくて聞いてはいられなかった。彼らにしてもそれを信じていないのが本当ではなかったろうか。仕方なく喋っていたのではないかと思う。しかしそうでもなさそうな人も何人かはいた。信じていないなら、恐らくあんな喋り方はしなかったろうから。ともかくこうして強制された天皇支配下の日本の非合理性は、苦痛以外の何ものでもなかった。「神国日本」を典型的に演じたのはむろん軍人だったが、彼らの精神主義が高じてくるとそれは暴力に変わった。一体何の権利があって軍人は国民に暴力を振るうのか。戦争のさなかだと言うのに、国民は味方からいじめ抜かれた。
━<略>━
だが考えて見ればそれらは全て天皇に収斂されていた。天皇が全ての非合理性の根源であった。そしてその天皇制を国民に強要し、国民を痛めつけてきたのは、軍人を始めとする右翼的諸勢力であった。・・・・・・現人神とは何たる詭弁であろうか。そして、君側の奸を許す現人神とは何たる逆説だろう。私は神聖な天皇を吹聴するだけでなく、国民にそれを暴力的に押し付けてくる軍人や右翼に反感を持たざるを得なかった。

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      2、悪盛んにして天に勝つ

ここには「殴る理由」が一部、理解されている。

「神国日本」を典型的に演じたのはむろん軍人だったが、彼らの精神主義が高じてくるとそれは暴力に変わった。一体何の権利があって軍人は国民に暴力を振るうのか。戦争のさなかだと言うのに、国民は味方からいじめ抜かれた

つまり、そう言う事だ。
大日本帝国において、多くの国民は被害者であった。
軍人や右翼はいばりちらし、暴力をふるい苛め抜いたのである。
もちろん被害者というものは加害者によういに転化するものではある。
かくして軍人は国民を理由も無く、殴り、
教師は生徒を理由もなく殴り、
先輩は後輩を理由もなく殴る、
風習が蔓延し、
地獄が地上に顕現していたのである。
軍人達がかかる暴力体質を持っていたのは、自分自身が軍内において「たるんどる」などの理由によって意味なく殴られて来たからである。そういう伝統を持っていたのだ。
日本を愛する司馬遼太郎をして「昭和元年から20年まで話をずっとして・・・いまだに思う事はひとつです。あれは日本だったんだろうか?」と語らせた日本軍であった。
そして1933年頃から1945年の敗戦までの間、日本軍は日本の支配者であった。
ゆえに傍若無人な事が通ると思い込んでいたのである。
まさに「悪盛んにして天に勝つ」とはこの事である。
 
          3、当時の体験談

ある人はこう書いている。

母から聞いた話では、「その当時は赤紙がくると行きたくなくても行かないと家族がみんなから「非国民だ」と白い目で見られて住めなくなるから行かざるを得なかったとか、戦争反対を少しでも言うと赤だと言われて特高に捕まり獄死した人がたくさんいた。。。とか、本当は福岡に原爆が落ちるはずだったけど、その時福岡の上空は雲で覆われていてアメリカ軍が雲のないところに落としたら長崎だった。」とかいろいろ聞きました。
終戦が近つ”くにつれて、田舎にまで軍の人が来て「鉄がたらない。」と言って各家にあったフライパンやら鉄に関連するものは全てもっていかれたということなんですが、それを見ていた私の叔父が「この戦争負けるな。」と言ったのを祖母が「そんなこと言ったら捕まるから絶対に外では言ってはいけない。」と諭していたそうです。
特別攻撃隊(特攻)なんて生きて帰ってきたら恥とまで言われて人間爆弾を余儀なくされましたし、
昔の人たちは本当に気の毒だったと思います。
昔は自由なんて何一つなく、人権もなかった時代でしたが、今は本当にいい時代ですね。

この手の話は当時を生きていた人の多くから聞けるはずである。
韓国人は日本の敗戦を「光復」と呼んでいる。
光が復活したと言うのだ。
それは日本人にとっても同じ事である。
明治開国以来、坂本龍馬と彼を師と仰いだ自由民権論者達が求めていた権利をやっと国民は手に入れたのである。
光が回復したのだ。