ネト右嫌韓論者が自爆した従軍慰安婦の募集写真

従軍慰安婦問題を探る

まずはこの写真を見てもらおう

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この2つの写真は、実は嫌韓論者達が、「韓国で従軍慰安婦は、こうして張り紙や新聞広告で募集されたのだ」と証明するために、よく使う写真である。

そして、実にありがたい写真である。
 
なぜかと言うと、この写真は大日本帝国が 『婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約』 を韓国、朝鮮には適用しなかった証拠となる写真なのである。

一応、書いておくが、今日の研究では、慰安婦の募集は植民地では現地警察の協力の下、おおむね業者、ブローカーを通してなされ、その中には、新聞広告や張り紙の他に詐欺や軍の威力を背景とした暴力的手段が多く含まれていた事がわかっている。これについてはいずれ詳しく書こう。


この写真だが、見てもらえば分かるように 年齢 17才以上30才まで と書かれている。

この時代、大日本帝国は 『醜業婦女売買国際条約』(1910)や『婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約』(1921)に加盟していた。

この条約では、〔婦女子に対する暴力や脅迫と詐欺による売春の強制〕や〔未成年に対する勧誘は、本人が了解しても〕「罰せられるべし」と規定していたのである。

ここで言う成年とは 満21才である。

日本政府は、これを「満18才まで」と留保条件をつけて加入した。しかし、1927年にはこの留保条件も撤廃した。
だから、1937年に軍慰安婦の制度が造られた時には、満21才以下の婦女子を勧誘する事は、この条約により禁止されていたのである。

ゆえに内務省警保局長は、38年に各都道府県に「21才以上の現売春婦にのみ身分証明書を発行する(渡航許可する)」と通達したのである。 (「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」『従軍慰安婦資料集』)


つまり、大日本帝国は日本内地では「21才以上」を守ろうとしたが、朝鮮半島ではこれを守ろうとしなかったのであった。

その証拠の一つとなるのがこの写真である。

ひどい話だ。


90年代に日本でなされた慰安婦裁判の韓国人女性達の全員がその当時未成年であった。また足立茂一欽州憲兵分遣隊長
「呼寄証明書」やイロイロ兵支部医務室「検微成績の件」1942,6,9『資料集』によれば、14、5才の台湾、フィリピンの少女が慰安婦にされていたと言う。


「内鮮一体」とか言いながら、様々な差別をしていた事がこの写真からよく分かる。

こんな証拠写真を見つけて広めてくれて、ありがとう。http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/461.gif


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ところで、上の写真だが、元々は韓国の政府筋の婦人団体ブログが発見し掲載していたものらしい。
 
それをネト右嫌韓論者が「韓国人の野朗、自爆しやがった」と言って喜んで掲載したのである。それをみんなで広めた。
 
「見ろ、こんな風に、従軍慰安婦は合法的に募集されたんだ!どうだ。ヘヘーン」と言う訳だ。
 
ネト右嫌韓論者には、当時の国際条約の知識などないから、「慰安婦が広告によって集められた」証拠としか見えなかったのである。
 
しかし、本当に自爆したのは、ネト右嫌韓論者の方であった。・・・・・と言う落語のようなオチがついたのである。
 
おあとがよろしいようで  チャンチャン