朝鮮総督府の証拠隠滅

1933年から1945年の敗戦までの12年間になされた事 シリーズ

            テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史



朝鮮総督府は証拠を隠滅した
焼かれた大量の行政文書(証拠書類)


朝鮮総督府の臨時雇いであった長田かな子は、1945年8月15日、「玉音放送」を聞いた後、総督府の「中央ドーム真下」の部屋に戻って呆然としていた。そこへ「本課から職員が来て、「燃やして燃やして」とせっかちにいう。気がつくと、庁舎の各階の窓からポンポンと書類を投げ下ろし、油をかけて焼却している。抜けるような青空に、無数の灰が粉雪のように舞った。黒い煙が太く立ちのぼった。誰も無言で、ただ機械的に書類を中庭に投げおろした」と記している。こうして敗戦の詔勅の放送と同時に、重要書類の焼却が始まった。

(長田かな子「45年8月15日」『季刊三千里』1982年秋号より)



【日韓歴史共通教材】   日韓交流の歴史 先史から現代まで より)

歴史教育研究会(日本) 代表加藤章
歴史教科書研究会(韓国) 共著

証拠を隠滅すると言う事は、やっぱり知られてはまずい書類が多くあった訳だ。