〔女子挺身隊〕の真相にせまる
1933年から1945年の敗戦までの12年間になされた事 シリーズ
テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史
まずはこれを読んでもらおう。
テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史
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これは、「慰安婦110番」に報告された軍慰安婦の話だが、ここで、「朝鮮人女性が集団で『関東軍戦時特別挺身隊』という名目で集められ、慰安婦として働かされた」と言う証言がなされている。
この話は次の島田俊彦氏の話と矛盾しない。
さらに長尾和郎氏の以下の証言とも、おおむね一致している。
これらの証言から、いくつかの想定をする事ができる。
つまり関東軍が慰安所を作る時、〔戦時特別挺身隊〕または〔軍慰安婦〕という名目で集めていたのではないか?・・・・と言う事である。
今でこそ「慰安婦」と言えば肉体提供を意味しているが、字義どおりに取れば 〔軍慰安婦〕という言葉は、単に”軍を慰安する”という意味しかない。
そこで、〔戦時特別挺身隊〕または〔軍慰安婦〕の名目でなされた、この徴集に参加した女性達が多くいたのであろう。
こうして集められ送られた朝鮮女性達は、各地に送られ強制的に性を提供させられるのである。
ところでこの〔戦時特別挺身隊〕だが、この名目からして、これは関東軍が命じ、総督府警察と各面事務所(役場)が協力して集めたものと思われる。いわいる「業者が集めた慰安婦」とは異なる事になる。
1990年、韓国のハンギョレ新聞に伊貞玉梨花女子大教授によって、「挺身隊取材記」が連載された。
その冒頭でこのように書いている。
つまり、戦時下、伊貞玉梨花女子大教授の若い頃は、「日帝が朝鮮半島の各地で未婚の若い女性を手あたりしだい挺身隊に狩り出した」という噂が流れていたのである。
この手の話は、同時代の韓国人から多く聞く事ができる。
しかし、日本においては 〔女子挺身隊〕 と言えば、工場などで働く勤労奉仕を意味していた。そこで日本の研究者は「韓国は〔女子挺身隊〕 と〔軍慰安婦〕を混同している。」と述べていたが、韓国では〔戦時特別挺身隊〕と〔軍慰安婦〕が、共に関東軍によって「慰安婦」として徴集された名目であったものと思われるのである。