〔女子挺身隊〕の真相にせまる・・・・その2
1933年から1945年の敗戦までの12年間になされた事 シリーズ
テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/7353229.html
テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史
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↑ において、「韓国では〔戦時特別挺身隊〕と〔軍慰安婦〕が、共に関東軍によって「慰安婦」として徴集された名目であったものと思われるのである」・・・と書いた。
その根拠としたのは、戦時下において、慰安婦達と関わった元日本軍人達の日記、戦記などの著作による証言であった。
では、当の元慰安婦達は、どのように言っているのであろうか?
これを裏づける証言は、あるのだろうか?
これを裏付ける証言として、元軍慰安婦・金徳順さんの証言がある。
その根拠としたのは、戦時下において、慰安婦達と関わった元日本軍人達の日記、戦記などの著作による証言であった。
では、当の元慰安婦達は、どのように言っているのであろうか?
これを裏づける証言は、あるのだろうか?
これを裏付ける証言として、元軍慰安婦・金徳順さんの証言がある。
【金徳順さんの証言】━作者のインタビューに答えて
1937年、日中戦争が始まった後、16才だった金徳順さん。
ある日区長がやってきて 「美味しいものが食べられ、いい着物が着られるところに連れて行ってやるが行かないか」と誘いかけて来た。貧しい暮らしで、家計を助けるために八歳のときから子守に出されていた金徳順さんにとって、それはまるで夢のような話だった。どんな仕事につくのかも知らぬままに、ただ区長について行った。
清州に着くと、そこには徳順さんのように連れてこられた同じ年頃の娘達が10人ほどいた。そこで区長は、娘達を日本人に引き渡したのだ。
「それから長い時間、私達は貨物列車に乗せられました。着いたところが、ハイラルだったのです。11月か12月だったと思います。寒い冬でした。・・・
私達は、第八慰安所と書いてある板張りの建物につれて行かされました。」
( 『日本軍慰安婦を追って』 西野留美子 著 P88 より)
ここで、区長が誘って引率したという話が出ている。
これが重要だ。
関東軍と朝鮮総督府の関係
まずは、背景を知りましょう
『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』 (坪井幸生著)
作者は、総督府警察幹部である。保安課事務官(後に主任、警察部長を歴任)
この話は、すでに終戦の放送があった直後。
15日夜、地区司令官は防衛招集を発令しようとした。召集の発令は軍の絶対権限であるが、令状の配達など、それを実施する事務は、朝鮮では警察に委任されていた。警察が動かなければ、何もできない仕組みであった。
これまでは軍の指令は絶対のものとして、そのまま忠実に召集事務は完全に遂行されてきた。しかし、この度の召集発令は、そのままに盲従して伝達する事はできないと思った。大命によってすでにすでに終戦が決定していた。日本軍が戦うべき敵はまったくないはずである。この期におよんで新たに兵を招集するとは、狂気の沙汰としか思えなかった。
地区司令官、頑迷な老将軍はすこぶる感情を害したらしいいが、この召集は軍上層部からの指令によったものではなかったらしく、そのまま沙汰やみとなった。(P138)
ある日区長がやってきて、 「美味しいものが食べられ、いい着物が着られるところに連れて行ってやるが行かないか」と誘いかけて来た。・・・・・・・・どんな仕事につくのかも知らぬままに、ただ区長について行った。