【金徳順さんの証言】━

【金徳順さんの証言】━作者のインタビューに答えて

1937年、日中戦争が始まった後、16才だった金徳順さん。
ある日区長がやってきて 「美味しいものが食べられ、いい着物が着られるところに連れて行ってやるが行かないか」と誘いかけて来た。貧しい暮らしで、家計を助けるために八歳のときから子守に出されていた金徳順さんにとって、それはまるで夢のような話だった。どんな仕事につくのかも知らぬままに、ただ区長について行った。

清州に着くと、そこには徳順さんのように連れてこられた同じ年頃の娘達が10人ほどいた。そこで区長は、娘達を日本人に引き渡したのだ。

「それから長い時間、私達は貨物列車に乗せられました。着いたところが、ハイラルだったのです。11月か12月だったと思います。寒い冬でした。・・・
私達は、第八慰安所と書いてある板張りの建物につれて行かされました。中は幅1メートルぐらいにし切ってあり、ペチカはありましたが布団はなく、ただ畳が一枚敷いてあるだけでした。
 
・・・・・・・その日から、日本の軍人たちは、まるで蜂のように私に襲い掛かりました。抵抗すると腰に下げていた軍刀を床や壁につきさして脅し、私の腕をねじあげるのです。
日曜日ともなると軍人たちは群れをなしてやってきました。・・・一日中狭い部屋に閉じ込められそこから出られるのは、食事のときと便所に行くときだけでした。
 
ある日、『星をつけた軍人』が酔っ払ってやって来ました。彼は酒を持っていて・・・・その軍人はたばこに火をつけて、私の身体に押し付けました。熱さと痛みに泣き叫ぶ私を軍靴で踏みつけ、さらにたばこを押し付けて来ました。・・・・・・
 

( 『日本軍慰安婦を追って』 西野留美子 著 P88 より)