「告白」

 
母親を通して語られる神について
「御身に忠実な女である母を通し、繰り返し私の耳にひびかせたもうたあの言葉は、あなたのみおことばではなかったのでしょうか。」
「彼女は大変心配し、不品行をしてはいけない、とりわけ人妻などとしてはいけないと、こっそり忠告してくれた。」
 
「しかし、じつはあなたの忠告だったのです。私は知りませんでした。あなたは何も語らず、語るのは母だと思っていました。しかしあなたは黙することなく、母を通して語りたもうた。」(「3章7」)
 
 再び原罪について
こうして若きアウグスティヌスは放蕩の限りを尽くし、母親の忠告も聞かずさらなる放蕩に進んで行った。
 
「じっさい私は、彼らが放蕩を誇り、醜ければ醜いほどますます自慢するのを聞いて、たんに行為のみならず、賞賛にたいする情欲にもかき立てられ、喜んでそうをしたのである」(3章7)
 
「悪人にとっての敵は自分のした悪業そのものなのです」(6章13)
罪を犯した人間は、ことさら神が罰しなくても、彼自身の犯した罪によって苦しむ。悪人の敵は神ではなくて、みずから犯した悪業そのものである(注釈上)
 
「あなたにそむき、あなたの外に求める時、姦淫の罪を犯します。」(7章14)
 
「私はカルタゴにきた。するとまわりのいたるところに、醜い情事の大鍋がぶつぶつと音を立て、煮えていました。」(第三巻冒頭)
 
「不信の淵の奥底まで沈み、悪霊どもに欺瞞の奉仕をするようになり、悪霊どもに自分の悪業をささげていましたが、そのつどあなたは鞭打ちたもうた。」(3巻3章5)
 
注)申命記32・17、コリント第一10・20
 
と述べながら、真理のない生活が内奥の苦しみであった・・・っと述べている。