アウグスティヌス「告白」

 アウグスティヌスの名著『告白』から知るキリスト教
(「世界の名著」16アウグスティヌス山田晶編集より)
 
神の遍在性について 
「しかしあなたは、みたしたもうすべてのものを、あなたの全体でみたすのでしょうか。・・・・それともあなたは、いあたるところ、全体としていましながらも、何ものも、あなたの全体をとらえることができないのでしょうか。」
(「告白」第三章)
ここでアウグスティヌスが述べているのは、神は万物のうちにいかなるしかたで偏在するか、という事である。
(「世界の名著」16アウグスティヌス山田晶編集の注釈)
 
 
 罪と悪霊について
「神は万物を創造しこれを秩序づける。だが罪を創造しない。しかし罪人によって犯された罪の結果をも、神は全世界の秩序の内に組み入れて善用する。例えば悪霊の悪意は神の創造ではないが、神はこれを聖者の訓練のために用いる。このようにして神は罪の、創造主ではないが、それをもっとも正しいしかたで秩序づける」
(『神の国』11巻7章、『創世記注解』3巻24章参照)
 
第10章16注釈
 
原罪について
「しかし、わざわいなるかな、人間の習慣の流れよ。だれがおまえに逆らうことができよう。おまえがかれはてるのはいつの日か。
いつまでおまえは、恐ろしい大海にエバの子らをまきこむのだ。この大海をわたることは、木船に乗った者にすら困難だ。雷をとどらかせながら姦通するユピテルの話を私が読んだのも、その流れにおいてではなかったか。」
(16章)
 
「おお地獄の流れよ・・・・」(16章26)
 
これについて注釈はこう述べている。
 
「地獄の流れよ」とは、前節のはじめに「人間の習慣の流れ」といわれたもの。人間の悪しき行為が不可公的な習慣となるように、人類全体がアダムの罪以降、罪の習慣の不可公的な流れのうちに巻き込まれ、押し流されていくと見る」(P84)
 
 
 「情欲的な心の状態、つまり暗い心の状態によるのであり、それが「御顔から遠ざかる」ということなのです。
(『第18章28』)
 
「ただ一人の偉大なる神よ。しかもあなたは、倦むことを知らぬ法をもって、不法な情欲の上に罰として盲目をまきちらします。(自己の不義を知らない盲目は、不法な情欲に対する罰である。)
(18章29)
 
「原罪の結果はすでに幼児の内に現れている」・・・と、19章では述べている。
 
第2巻では、青年時代の情欲にふけったことが悲しみをもって回想されている。
 
「私は過去の汚れと、魂の肉的な腐敗とを思い起こしたいと思います。」(冒頭)
 
「私はかつて青年時代、下劣な欲情を満たそうと燃え上がり、さまざまな薄暗い情事の内に、みずからすすんでゆきました。・・・・御身の前に・・・・腐れはててしまいました」(第一章)
「私を喜ばせたのは、「愛し愛される」ただそれだけでした。けれども私は明るい友情の範囲内に、魂から魂の節度を保つ事ができず、泥のような肉欲と泡立つ青春からたちこめた靄で、心はぼやけうすぐらく、ついには、はれやかな愛と暗い情欲との区別がつかなくなってしまいました。」
「あなたの怒りは重くのしかかっていましたが、私は気がつかなかった。・・・・・耳はつんぼとなっていました。それは魂の傲慢の罰でした。このようにして、いよいよあなたから遠ざかってゆきました・・・・。私は自分の淫行によって、投げ出され、ぶちまかれ、流れ散り、泡だっていましたが、あなたは黙したもうた。」(2章2)
 
「しかしあわれにも私は、衝動の奔流のままにわきたち、あなたをすてて、すべての掟から逸脱しました。」(2章,4)