日本が韓国を近代化したのか?

記事転載
 

日本が韓国を近代化したのか?


日本は、植民地支配において韓国に対して、多少悪いことをしたかもしれないが、それでも韓国を近代化をしてあげたのは、日本であり、インフラ整備をしたのは、日本ではないか、そういう点で、韓国は日本に感謝すべきだという主張をもっている方は非常に多いようです。

もちろん、韓国人が普通に暮らしているところに日本人が来て慈善事業のようにして道路を整備してくれたり、橋をかけてくれたり、鉄道を敷いてくれたりなどなど、近代化をしてくれたのならば、韓国人も日本人に感謝すべきだと思いますが、多少、事情が違います。

日本人がそういう道路工事や鉄道工事、建築工事などを全面的に担当したのだろうか、というと少し違うのです。

工事監督は日本人がやっているが、実際の労働者は韓国人(朝鮮人)が非常に多かったのです。総督府が直営事業でやるときも、土建業者がやるときも、技術者や現場監督は日本人でしたが、労働者は圧倒的に韓国人(朝鮮人)でした。

そして非常に問題が大きいのは、その韓国人の多くは強制無償ボランティア労働をさせられているのです。農閑期だったらまだいいのですが、農繁期で、農業が忙しいときにさえ、無報酬で強制的に工事にひっぱりだされて労働させられています。

そのような強制労働は、植民地支配をするよりも前から始まっています。

インフラ整備ではありませんが、日清戦争のときにすでに一部では見られていて(詳細な記録が残っています)、日露戦争時、京釜鉄道の敷設工事と京義鉄道の敷設工事において本格化します(これも記録が残っています)。このときは戦争中だったという事情もあり、従わなければ殴る、蹴る、銃殺するといったことで従わせているのです。

そして植民地時代になると恒常化するようになりました。

日清戦争のときのことは、【朴宗根著『日清戦争と朝鮮』青木書店 1982年】の本の第3章、第5章に詳しく出ています。インフラ整備ではなく、物資の輸送などに朝鮮人を脅迫して使用しています。

日露戦争のときのことは、【鄭在貞著『帝国日本の植民地支配と韓国鉄道』三橋広夫訳 明石書店 2008年】の本の第5章、第6章に詳しく出ています。はじめは賃金を払って募集していたのが、戦争が始まると、安い賃金で働かせようとしますが、募集に応じる人がいないので強制的に武力で脅迫して働かせるようになります。

どちらも高い本なので買うのは大変ですから、ぜひ図書館などでペラペラとでも読んでみてください。

このような強制的な無賃労働が植民地時代に入って、恒常化していきます。

この無賃強制労働を夫役(ぶやく)とか、賦役(ふえき)といいますが、こういうことが平気で行なわれたので、これに対する反発が、3.1独立運動のきっかけにもなっています。それで3.1独立運動をきっかけにかなり夫役(ぶやく)はかなり減りますが、完全になくなったわけではありません。

またあと非常に大きいのは、鉄道や道路を建設するのに土地を勝手に寄付させて奪ってしまったことです。いくら道路ができても、何の補償もなく強制的に奪われてしまった土地だとしたら、その土地を奪われた人は感謝できるでしょうか。

中野正剛という当時のジャーナリストが、著作『我が観たる満鮮』(1915年 政教社)にて、夫役と道路建設のための土地の強制寄付について書いています。

読みやすく改行しましたが、あとは原文のままです。52~56ページ
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試みに一歩地方へ踏出せば憲兵に対する怨嗟の声は、至る所の巷に充てり。

余は先日湖南線視察の途次、其第一日を大田に暮らしたるが、忽ち同地に於て憲兵の弊の一例を発見したり。大田の市街を西に去りて公州に向ふの一道路あり、当時よりの商習慣によりて可なりの往来あり、夙に坦々たる大道となれり。然るに忠清南道の警務部長は大田橋より見渡して、之と並行する他の直線道路を設けたり。其理由とする所は、当来の道路が屈曲蛇行するは、前方を直視するに不便なりと云ふ一事に帰せり。

然れども実際直線道路は旅行者をして、其単純に厭?かしむるものなれば、著るしき迂廻とならざる限り、成るべく屈曲した道路を開くを可とするのは、専門家の学説の一致する処なりと云ふ。警務部長は之を知らずして、単に一応の素人考へよりして、人民の迷惑も省みず、無用の道路を開設せしなり。

無辜の人民は何ぞ往来するに警務部長の意を體せん、折角新設の道路は人の之を通行するなくして、舊來の道路のみ往来頻繁なり。而して此道路を開くには、人民の土地を没収し、人民に負役を課せざる可ならず、其困難は警務部長が机上に鉛筆を弄して、直線道路を書くの比に非ざるなり。

然れども斯の如き人民の怨嗟は毫も上に達せられず、且又人民の為に苦痛を訴えんとする新聞紙もなし。是に於てか警務部長は軍隊的に其成績を報告して曰く、大田より公州に向ひて直線道路を開く、一路坦々軍隊の通過に対しては、別して便利を興ふと。総督は遂に此れ以上の報告を得る能はず。

 大田にて憲兵専制の実例を目撃せし余は、世人の憲兵に対する怨嗟の、決して偶然ならざるを感じたり。

然れども更に南下して江景に到り、諸種の事情を見聞するに及びて、余が曩に(さきに)大田にて目撃せしが如き事例は、此地方一円に行はるる尋常茶飯事なるを知り、喫驚禁ずる能はざるに至れり。

江景は曩も郡の廃合あるに際し、郡庁所在地問題に就て、人民間に騒擾を惹起したる処なり。此問題の如きも全く事情を辯へざる憲兵が、単に机上の地図面によりて郡庁の所在地を決したるより起りしなり。江景は恩津郡に位して、今まで郡庁の存在せし所なり。 (中略)



且又同地方を巡覧して憲兵の施設を見れば人民が憲兵に対して積怨を抱くの、決して無理ならざるを首肯し得べきものあり。

曩に(さきに)大田に於て示せし例の如く、憲兵が机上にて計画せし道路を目し俗に鉛筆道路と言ふ、鉛筆道路は鮮地内随所に之を発見し得べし。憲兵の之が開設を命ずるや、頗る厳格にして、先ず任意に道路の経由すべき地域を決定し、人民に命じて其土地を寄付せしむ、而して後愈々工事に取懸かるや、再び命令を発して負役を募るなり。

百姓は自己の田地を没収せられ、剰へ自己の労力を提供して、自己の田地を潰すを怨めども、如何せん官憲の命ならば、之を拒むに由なきなり。中に最も可憐なるは、一日一食をすら難しとする鮮人が、弁当を携帯して、終日無賃にて駆使せらるるの一事なり。

彼等の或者は三里、五里、十里の遠方より召集せられたる有り、固より極貧の民ならば労役に出でたりとて宿屋に泊る資力なく、終日爪を囓りて労役したる後、夜は果敢なき露宿の夢を結ばざる可からざるなり。嗚呼斯くの如き細民の苦痛何の機関によりてか、之を仁者に訴へんや。

否々彼等は其苦痛を訴へざるのみならず彼等が怨恨の焦點たる憲兵に対し、猶此上の壓制を免れんが為に、朝鮮一流の頌徳碑を建てざる可らざるなり。見よ「何々憲兵不忘碑」とは、皆此種の壓制の峰を和ぐべき須諛の為に建てられたる記念碑なり。

嗚呼大正の聖代、陛下仁慈の治下に此事ありて可ならんや。而も憲兵は総督に對して誇り顔に其成績を報告して曰く、某々の道路開通には、内鮮人挙りて非常の熱心を示し、土地を寄附し負役を出したり、殊に鮮人は其恩澤を被るに感激して不忘碑を建立するに至れりと。一意朝鮮を思ふに切なる総督は、此報告を聴きて何ぞ喜ばざるを得んや。総督何の不明の罪かあらん、言論報道の抑壓、斯の如き内情をすら計かしめざるの罪なり。

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【而して此道路を開くには、人民の土地を没収し、人民に負役を課せざる可ならず】

道路を開くために人民の土地を没収して、人民に強制無賃労働をさせるしかないというわけです。

そしてさらにいじめられないために、憲兵に対して感謝の碑を建てているというわけです。
日本が韓国を近代化したという部分があったことは確かです。しかしその近代化のために無償で土地をさしだしたのは、当時の韓国人であり、その近代化のために無償で労働力をさしだしたのも、韓国人でした。

銃剣に脅迫されていやいや従ったわけです。こういうことが分かってくると、日本が韓国を近代化したのだから感謝しろと、簡単にはいえないことが分かります。