神道の系譜・・・・1「伊勢神道」

紀元前6Cに生まれた仏教は、その成立以来インドに広く信仰されていたバラモン教の神々を「仏にひざまずき、仏教を加護するもの」として説明し、取り入れて来た。
やがて渡来した日本において9世紀、仏教者に2つの神道理論が生み出される。真言宗において両部神道が唱えられ、天台宗においては山王神道が唱えられた。どちらも本地垂迹説に立脚しており、日本の神々は、仏教で信仰されているインドの神々にその本地があるとされた。(神仏習合
しかし、13世紀になると本地垂迹説に反対し、反本地垂迹説を唱える神道理論が生まれる。
伊勢外宮の神官渡会氏が唱えた「伊勢神道」である。
 
 
 
この伊勢神道を背景として書かれたのが次の『神皇正統記』の有名なくだりである
大日本(おほやまと)者(は)神国(かみのくに)他天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を伝(つた)へ給ふ。我(わが)国のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と云(い)ふ也。
つまり、日本は神国(神々の国)だ・・・と述べているのである。
 
 
〔1〕神明擁護
〔2〕神孫降臨
〔3〕国土の宗教的神聖視
などがすでに見られる
 

【ウンチク、解説】 
 
太平洋戦争の末期、日本には「神風が吹く」という話が信じられていました。日本は神国だから、外国と戦って負けそうになっても、神風が吹いて敵をやっつけてくれるんだ。と言うんですね。それで太平洋戦争の末期、米軍に空爆されながらも、女子供まで竹やりをもたせて、いざ本土決戦だといって戦意を煽っていた。
 
 この「神風が吹く」という妄想。
その妄想の源が、この「伊勢神道」です。
しかし、いくら待っても神風なんて吹かなかった。吹かないうちに、東京は空襲され、さらに原爆が落ちたのでした。
 
妄想を信じるというのは、本当にバカげた事です。
この手の有害な妄想を考えだしたり、広めた人もいたのです。
 
13世紀当時、モンゴル軍が押し寄せてくる元寇がありました。
この国難に対して、北条氏と御家人達が闘ったのですが、その時暴風雨が起こって、元の軍を壊滅させたと言います。これを度会家行(1256~1362)は「日本は神々の国なので神風が吹いた」と解釈したわけです。
 
これは、その当時はたいした影響もなかったのですが、やがて江戸時代になって神道が勃興し、復古神道や水戸学などが生まれ、広がる中で、復活するのです。
 
そして天皇を中心とする神道国家が造られて行く中で力を帯びてくる訳です。
 
例えば、伊勢神道の『神道5部書』の中は、「神徳とともに国家の永久性」が説かれており、「神明と天皇が一体である」事が書かれています。
 
これは何かというと国体なのです。
 
昭和十二年の文部省通達『国体の本義』

天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治したまう現御神であらせらる。この現御神、あるいは現人神と申し奉るのは、いわゆる絶対神とか、全知全能の神とかいうが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民、国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏(かしこ)き御方であることを示すのである」


 
 
 
さらに国体明徴とは?
国体明徴声明全文
恭しく惟るに、我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、萬世一系の天皇國を統治し給ひ、宝祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法發布の御上諭に『國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ』と宣ひ、憲法第一條には『大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と明示し給ふ。即ち大日本帝國統治の大權は嚴として天皇に存すること明かなり。若し夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。政府は愈々國體の明徴に力を效し、その精華を發揚せんことを期す。乃ち茲に意の在る所を述べて廣く各方面の協力を要望す。
「国体明徴に関する政府声明」1935年8月3日 (第1次国体明徴声明)
つまり、伊勢神道は700年の時を経て神道国家・大日本帝国に影響を与えているのですね。
 
ようするにこうした国体自体が妄想に過ぎないものだということです。
 
 
 伊勢神道の勃興には、文永の役(一二七四年)と七年後の弘安の役の、二度にわたる蒙古襲来によって引き起こされた社会的混乱のなかでナショナリズムが高まったことと、後醍醐天皇鎌倉幕府を倒して建武の中興が成り、更にその後の南北朝の対立で、政治的・軍事的に力を持つようになった天皇を中心とする神国思想が強まって来たことなどが影響している。そして以後の日本史において、国家的困難が起こるたびに、同様の神道ナショナリズムが勃興しているのである。21世紀今日も例外ではない。