伝統的戦略なのか?

1904年、2月8日。日本海軍は仁川、旅順のロシア艦隊に攻撃を加え、陸軍は9日、仁川に上陸してソウルに入ったが、天皇が宣戦布告したのは、2月10日であった。こうして日露戦争が始まるわけだが、後の太平洋戦争の勃発に際しても、日本はまず真珠湾に奇襲攻撃をかけた。それから「宣戦布告」した。
 
これは、「手違いでそうなった」という人もいる訳だが、「日本軍側が闘いの先手を取るための、常套手段であった」と言えなくもないだろう