転載 日本青年会議所の少女女体盛り


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松山政司は「女体盛り」参加者!

 1998年2月14日、日本青年会議所の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした会合を行なった。

 旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と、コンパニオンとして呼んだ16歳の少女を全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画していた。

 その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」
と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」。

 「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。

 なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいた。

 事件は6月になって少女が補導され、パーティーの顛末を話したことで発覚した。
10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受け、逮捕者を4人出した。

 少女を手配した1996年衆院選に北海道6区から出馬している不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。

 当時、松山建設代表取締役社長で(社)日本青年会議所副会頭だった松山政司参議院議員(当時39歳、翌1999年度日本JC会頭就任)もその場に参加していたとして問題になった。

 1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「女体盛り逮捕犯」「あ、日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を 刺身女体盛りハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された。

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ブログ「伊達直人」は“新ネタ”として、この産経の記事を載せた。

 1億総活躍担当相に決まった松山政司参院国対委員長は、安倍首相と官邸で面会後、記者団に「大変身の引き締まる思い。安倍内閣をしっかり支えて、全力で頑張っていきたい。私自身も地方に出て、肌で感じた上でいろんなことを考えていきたい」と意気込みを語った。 

なるほど「肌で感じた上で」・・・。


安倍改造内閣 新大臣 一億総餓死相 松山政司は【女体盛り】参加者❗





@nikkan_gendai
 初入閣が決まったことによって、19年前の「女体盛り」参加疑惑が再び囁かれることになった松山政司参院議員。真偽のほどを松山氏の事務所に問い合わせたところ…。 記事は本日の2面に掲載。日刊ゲンダイは駅売店かコンビニでお求めください。


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レズビアンフェミニズムの憂鬱




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これはリサ・タトル著渡辺和子監訳 フェミニズム事典』 の「筆者はしがき」である。

赤線をつけたところを読めばわかるように、筆者はレズビアンフェミニズムについて述べている。

レズビアンフェミニズムは 「すべての権力を女性の手に委ね、男性を人口の10%以下に抑えることを考え出した」のだそうだ。

筆者は、この異常な差別的自己中妄想を フェミニズムの一部としている。

本ブログが述べてきたように、フェミニストたちは結婚を敵視し、「結婚は奴隷制度」など叫ぶようなデモをしていた。それだけでも、ごく普通な人たちは共鳴できないものだ。そのうえこんなものまであるのに、フェミが嫌われるのは当たり前である。


私は『女性の権利の擁護』を書いたメアリ・ウルストンクラフトが嫌いではない。彼女が女性の教育を受ける権利を求めたのは正しい行為である。男女同権は当然である。

しかし、第二波フェミニズムは、そのメアリ・ウルストンクラフトとはまるで異なるベクトルをもっている活動である。

すでに情報はそろったので、近いうちに整理しておこうと思っている。









夜這いの風習の源を見る




       『日本神話事典』(p262-p263) 「一夜婚」「一夜孕み」


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 * カムヤマトイワレビコ神武天皇

(カムヤマトイワレビコスメラミコトというが、スメルとはシュメールの事だという説が渡日ユダヤ人によって唱えられている。そしてシュメールとその後継文明(アッカドバビロニアアッシリア等)は、「神殿淫行」の本場であった。夜這いは聖なる淫行(神殿淫行)の風習から派生したものの一つである。)



『日本神話事典』 書誌情報



天賦人権論とは?




天賦人権論とは、西欧の自然権思想のことであり、「人間が生得的に持っている「権利」がある」という考え方である。
今日、各国の憲法にはどんな形であれ、自然権思想が必ず入っている。
この思想は、キリスト教に多分に影響を受けたものであり、だからこそ明治以来、神道信者たちは、この思想を敵視してきた。加藤が自説を翻したのは、神道信者たちに圧迫を受けたからである。
また今日、日本会議自民党の議員たちが天賦人権を否定したがるのは、彼らが神道信者だからである。



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      (『日本キリスト教歴史大辞典』)



昔と似ている今



起源前のお話。
古代ギリシャと古代インドで同時期に「歴史は繰り返す」という思想が生まれた。
輪廻思想である。
その名の通り、輪になって回っているのだという。

それから哲学者ヘーゲルが述べたり、トインビー(歴史家)が主張したりした。トインビーは、アルバからオメガに向かって直線的に到達する『聖書』の歴史観古代ギリシャと古代インドの輪廻思想を組み合わせ、似たようなことを繰り返しながら、進んでいく歴史モデルを提示した。

こうしたことを知ってか、知らないでか?何人かが日本の近現代史の反復(輪廻)を唱えている。

『2022-これから10年、活躍できる人の条件』神田昌典

『戦後の思想空間』大澤真幸

である。

どんな説なのか?今日は神田昌典さんの『2022-これから10年、活躍できる人の条件』を見ておこう。


                  70年周期説

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特に第一次大戦の景気とバブル景気の比較は見事である。
いい線をついているのだが。

私はもう20年以上も前に、「73年周期説」を唱えたが、それはこういう反復をしたのである。

1941年12月、太平洋戦争が起こった。
それは2013年頃からの産経新聞に誘導された歴史戦に反映したのである。

テーマはいうまでもなく、戦前大日本帝国のあの戦争が、正しい戦争だったか否か、である。右翼側(歴史修正主義)は「聖戦」という。しかし我々は「侵略だった」という。右翼は「慰安婦はただの売春婦だ」という。そういう事で責任が無いことにしたいわけだ。しかし我々は「奴隷制度のような酷いものだった」という。右翼は「南京虐殺などなかった」という。しかし我々は、「南京事件では多数の人が虐殺された」という。

歴史認識をめぐる対立があった。

ではいつまでこれは続くのだろうか?
それはだいたい、4年くらいだろう。
だから、今年にはおおまかな決着がつくだろう。
右翼側が勝つことなどあり得ない。

時期は実際のところ、ちょっとずつずれている。
それから、似たようなことは起こるが、まったく同じではない。
状況が違うため起こらないこともある。
それでも、この神田さんが感じたように、何か似た部分があるのである。

昔と今が。
不思議だろうか?
そうでもないだろう。






横井小楠の息子もキリスト教徒になっていた


篤実な儒教徒として徳が満ち、当時の人の中では比較的正しい心に到達し、維新をいくぶん正しい道へと導いた横井小楠(しょうなん、1809-1869)。龍馬の「大政奉還」や「議会制」への志向は、この横井小楠に種受けしたものだとも言う。その小楠も龍馬が暗殺された2年後には暗殺された。殺害の理由は「横井が開国を進めて日本キリスト教化しようとしている」といった事実無根なものであったという。

小楠キリスト教徒ではなかったのだが、この小楠には息子がいて、横井時雄というのだが、この人はキリスト教徒として活躍した。小楠が殺されて数年後、時雄は同志社に行き、キリスト教徒になった。

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                      (キリスト教人名辞典』

すでにこのブログに書いたように、龍馬の血縁者、友人、暗殺者に至るまで、不思議なくらいキリスト教徒になっている。

龍馬の家督を継いだ坂本直。
その弟の自由民権3論客の一人坂本直寛。
従弟の山本琢磨。
龍馬を斬った見回り組の今井伸郎
そして横井時雄も加わるわけだ。

この濃厚さはどうだろう?
まだキリスト教徒なんて、ろくにいない時代に、龍馬の周りにはまるで磁力でも貼られているように濃厚にキリスト教の雰囲気が漂う。
龍馬自身はキリスト教徒でも何でもなかったにもかかわらず。

もちろん、唯物論者にとっては「ただの偶然」なのだろうが、少なくとも「意味ある偶然」と言えるだろう。


神道の「神」は、人のご都合によって創られるという話



ネットの中では、麻生 太郎の

靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。  
 (オフィシャルブログ http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html

という主張に批判もあるようだ。現在(2018年)までわずか150年程度の歴史しかない靖国神社を「日本人の「集合的記憶」」呼ばわりというのは確かに失笑ものである。
まあ、ろくに漢字も読めない政治家に、正しい歴史知識を求めるのは酷かも知れないが。

さて今回は、靖国以外の明治維新後に「神」とされた人々の話である。

① 楠木正成 明治5年 湊川神社

② 護良親王 明治2年 鎌倉宮

③ 菊池一族 明治3年  菊池神社

④ 宗良親王  明治3年 井伊谷宮


⑥ 懐良親王  明治14年 八代

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これらは建武中興十五社」として明治維新後に創建された神社である。明治5年、神社は国家の宗祀と宣せられ、これらは全て「別格官幣社」または「官幣中社となっている。

要するに維新の志士たちの尊王思想の源の一つである水戸学の『大日本史』や頼山陽の『日本外史』の記述に基ずいて、南朝側の死者を「神」としたのである。

別格官幣社」という言葉は、天皇の一族ではないが、「神」として祀るということで、靖国もこれである。皇子の場合は官幣中社」と言う。

一方で、天皇の先祖(とみなされた人たち)も「神」として祀りはじめる。


   *(日本会議の事務局組織である日本青年協議会が発足式をし
      たのがこの橿原神宮であった)

② 桓武天皇  明治27年 平安神宮

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天皇を祀るこうした神社を「官幣大社」と言う。

こうして明治国家は、国学や水戸学の『天皇を「神の子孫」あるいは「神」とする思想』によって造られていく事になる。
天皇は「神」であり、その天皇の側にいて戦死した人も「神」・・・という思想である。

かくして「神」は造られて行く。
その背景にあり、意識されない思想というより風習は、「人が祀れば「神」」というアニミズムの世界なのだ。