転載 日本青年会議所の少女女体盛り
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松山政司は「女体盛り」参加者!
その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」
と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」。
「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。
なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいた。
事件は6月になって少女が補導され、パーティーの顛末を話したことで発覚した。
10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受け、逮捕者を4人出した。
1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「女体盛り逮捕犯」「あ、日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を 刺身女体盛りハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された。
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ブログ「伊達直人」は“新ネタ”として、この産経の記事を載せた。
1億総活躍担当相に決まった松山政司参院国対委員長は、安倍首相と官邸で面会後、記者団に「大変身の引き締まる思い。安倍内閣をしっかり支えて、全力で頑張っていきたい。私自身も地方に出て、肌で感じた上でいろんなことを考えていきたい」と意気込みを語った。
なるほど「肌で感じた上で」・・・。
@nikkan_gendai
初入閣が決まったことによって、19年前の「女体盛り」参加疑惑が再び囁かれることになった松山政司参院議員。真偽のほどを松山氏の事務所に問い合わせたところ…。 記事は本日の2面に掲載。日刊ゲンダイは駅売店かコンビニでお求めください。
レズビアンフェミニズムの憂鬱
これはリサ・タトル著渡辺和子監訳 『フェミニズム事典』 の「筆者はしがき」である。
筆者は、この異常な差別的自己中妄想を フェミニズムの一部としている。
本ブログが述べてきたように、フェミニストたちは結婚を敵視し、「結婚は奴隷制度」など叫ぶようなデモをしていた。それだけでも、ごく普通な人たちは共鳴できないものだ。そのうえこんなものまであるのに、フェミが嫌われるのは当たり前である。
私は『女性の権利の擁護』を書いたメアリ・ウルストンクラフトが嫌いではない。彼女が女性の教育を受ける権利を求めたのは正しい行為である。男女同権は当然である。
しかし、第二波フェミニズムは、そのメアリ・ウルストンクラフトとはまるで異なるベクトルをもっている活動である。
すでに情報はそろったので、近いうちに整理しておこうと思っている。
昔と似ている今
起源前のお話。
古代ギリシャと古代インドで同時期に「歴史は繰り返す」という思想が生まれた。
輪廻思想である。
その名の通り、輪になって回っているのだという。
それから哲学者ヘーゲルが述べたり、トインビー(歴史家)が主張したりした。トインビーは、アルバからオメガに向かって直線的に到達する『聖書』の歴史観と古代ギリシャと古代インドの輪廻思想を組み合わせ、似たようなことを繰り返しながら、進んでいく歴史モデルを提示した。
こうしたことを知ってか、知らないでか?何人かが日本の近現代史の反復(輪廻)を唱えている。
『2022-これから10年、活躍できる人の条件』神田昌典と
『戦後の思想空間』大澤真幸
である。
どんな説なのか?今日は神田昌典さんの『2022-これから10年、活躍できる人の条件』を見ておこう。
70年周期説
特に第一次大戦の景気とバブル景気の比較は見事である。
いい線をついているのだが。
私はもう20年以上も前に、「73年周期説」を唱えたが、それはこういう反復をしたのである。
1941年12月、太平洋戦争が起こった。
それは2013年頃からの産経新聞に誘導された歴史戦に反映したのである。
テーマはいうまでもなく、戦前大日本帝国のあの戦争が、正しい戦争だったか否か、である。右翼側(歴史修正主義)は「聖戦」という。しかし我々は「侵略だった」という。右翼は「慰安婦はただの売春婦だ」という。そういう事で責任が無いことにしたいわけだ。しかし我々は「奴隷制度のような酷いものだった」という。右翼は「南京虐殺などなかった」という。しかし我々は、「南京事件では多数の人が虐殺された」という。
歴史認識をめぐる対立があった。
ではいつまでこれは続くのだろうか?
それはだいたい、4年くらいだろう。
だから、今年にはおおまかな決着がつくだろう。
右翼側が勝つことなどあり得ない。
時期は実際のところ、ちょっとずつずれている。
それから、似たようなことは起こるが、まったく同じではない。
状況が違うため起こらないこともある。
それでも、この神田さんが感じたように、何か似た部分があるのである。
昔と今が。
不思議だろうか?
そうでもないだろう。
横井小楠の息子もキリスト教徒になっていた
篤実な儒教徒として徳が満ち、当時の人の中では比較的正しい心に到達し、維新をいくぶん正しい道へと導いた横井小楠(しょうなん、1809-1869)。龍馬の「大政奉還」や「議会制」への志向は、この横井小楠に種受けしたものだとも言う。その小楠も龍馬が暗殺された2年後には暗殺された。殺害の理由は「横井が開国を進めて日本をキリスト教化しようとしている」といった事実無根なものであったという。
(『キリスト教人名辞典』)
すでにこのブログに書いたように、龍馬の血縁者、友人、暗殺者に至るまで、不思議なくらいキリスト教徒になっている。
龍馬の家督を継いだ坂本直。
その弟の自由民権3論客の一人坂本直寛。
従弟の山本琢磨。
龍馬を斬った見回り組の今井伸郎
そして横井時雄も加わるわけだ。
この濃厚さはどうだろう?
龍馬自身はキリスト教徒でも何でもなかったにもかかわらず。
もちろん、唯物論者にとっては「ただの偶然」なのだろうが、少なくとも「意味ある偶然」と言えるだろう。
神道の「神」は、人のご都合によって創られるという話
ネットの中では、麻生 太郎の
「靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。(オフィシャルブログ http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html)
まあ、ろくに漢字も読めない政治家に、正しい歴史知識を求めるのは酷かも知れないが。
③ 菊池一族 明治3年 菊池神社
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一方で、天皇の先祖(とみなされた人たち)も「神」として祀りはじめる。
たのがこの橿原神宮であった)
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かくして「神」は造られて行く。
その背景にあり、意識されない思想というより風習は、「人が祀れば「神」」というアニミズムの世界なのだ。