昔、賀川豊彦の感じた日本の右傾化
昭和の初めころ、賀川豊彦の主導する「神の国運動」が始まった。「神の国運動」は日本キリスト教の歴史の中でもっとも成功した伝道活動の一つだった。大正時代のベストセラーであった「死線を越えて」の作者として有名人だった賀川の講演はどこでも満員であったと言う。
しかし、賀川はこれを成功とは感じなかった。
賀川は第一に「教会の無頓着」について語ってい るが、多くの教会はもともと社会的関心が乏しいところに、時局の変化で確 実に右傾化してゆき、ますます保身的になって行きつつあった。
その頃、時代は暗雲を立ち込めていた。
第一次大戦後、物価は高く、慢性的な不況が続き回復しないまま1929年、世界恐慌が起こる。その渦は日本にも容赦なく直撃し都市でも農村でも人々の生活は実に苦しかった。賃下げ、首切りが相次ぎ31年の労働争議は史上最高件数を記録している。
その上、30年、31年と冷害、津波、干ばつなどが続き人身売買があとを絶たなかった。こうした状況を看過できず、賀川は「魂の救済と生活の救済は一つである」と述べ信徒の相互扶助の必要性を唱えながら「神の国運動」を始めたのである。
しかし、その頃もう一つの巨大な渦が日本に起こりつつあった。