高橋史郎の言う「伝統的家族観」とは何か?さっぱり分からないという話


日本では、つい70年前の敗戦まで、日本中の花街で遊郭が繁栄していた。”男が外で遊ぶのは自由”という時代である。金持ちは芸者や舞子を身受けしたり、妾を囲っていたものだ。それで金持ち以外は、「一夫一婦制」を守っていたかというとそうではない。赤松啓介によれば、農村では「夜這い」がはなはだ盛んであり、村によっては女性は村の共有物のようになっていた。


夜這いは男が行くだけではなく、女の方からも通って来たのである。俺は100人斬りが済んだという若衆がおり、「なんや、そんなもん、うちら17で男の100人抜きぐらいしたぜぇ」とおばはんに叱られていた。「へぇ、俺で何人抜きや。お前か1000人目ぐらいやろ」と脅かされる。私の在所では若衆が女の100人斬り、女が男の百人斬りを基準にしていた。千人になると盛大に祝宴を開いて「千人供養」したそうである。ほんまかいなとう疑ったらいろいろ事例を教えてくれた。金、鉄、木製などの巨根を正面に飾り、前に女陰形の大朱盃を供え、参列者の前には大根や山イモで造った男根女陰を供え、僧尼が厳粛に読経、終わって無礼講ということらしい。引き出物もいろいろ苦労したようで、性器や性交の酒盃、玩具などが多かった。義理がたい男や女になると筆おろしし、水揚げの恩人を正座にして、その労をねぎらったという。こうなるとまさに良風美俗である。(赤松啓介『夜這いの性愛論』P10,11)


おい、お前のところのカカア、俺の息子を男にしたらしいぞ」「うん、ちと早いな」「なにが早けらあ、お前はもっと早かったろ」ということになる。11,2にもなるとセンズリも覚えるし、少し色白のかわいい子供になると娘やかかあ、後家どもが目をつけて男にしようとねらった。(赤松啓介『夜這いの性愛論』P20)

「ただし村によっていろいろと違って、9つや10つでも月経があれば通わせるのもあるし、13になって近所の社寺へ参詣、それから水揚げしてもらうのもあり・・・・・・しかし男の方がカネヤモノを出して水揚げするものもあり、これはもう売春に近くなる。(赤松啓介『夜這いの性愛論』P24)


「過酷な労働と性のたのしみ」という題がつけられており、「苛酷な作業であるほど、その中で楽しみを求めざるを得ないから、農作業の中には極めて性的解放を強くもつものがある」(『夜這いの性愛論』P27)


ムラには夜這いの他にいろいろと性民俗がある。境の神祭りとか、道祖神祭りなどいくらでもある。また関東の府中の闇祭り、宇治の県祭りなど祭礼の夜のお堂の解放もよくある。・・・・戦前はそこらの神社や小さい堂などでも講の日とか、ヨイ宮、アト宮などに講衆や氏子たちに全開放という村も多かった。(『夜這いの民俗学P114)


コネについて

漁村や山村になると盆や秋祭りの2日、3日間ぐらいオール開放、他の村とも相互開放というのも多い。


稀に、大原のザコネで有名な江文神社の長床や播磨の美嚢郡淡河村の室町時代の仏堂などは細長い建築物で、おそらく村の男女で性交可能な人たちがみんな集合していたとよいものもある。室町時代はこの型が通常であったのだろう。(『夜這いの民俗学P117)


一体、日本の伝統的家族観とはどんなものなのだろうか?
平安貴族たちは、通い婚だったし、庶民は雑婚形態だった。時代が下って、昭和期まで「雑魚寝」の風習が残っていたのである。

日本が現在、曲りなりにも「一夫一婦制」になっているのは、明治時代以降、救世軍キリスト教婦人矯風会などが「一夫一婦制」を理想とし、粘り強く「廃娼廃妾運動」を展開し、それが敗戦後花開いたからである。
つまりは、ここ70年でやっと「フリーセックス」な世の中が変化し、キリスト教的な一夫一婦」をよしとする時代になった訳だが、一体高橋史郎あたりが、どの時代の家族制度のことを「伝統的家族制度」と呼んでいるのか?甚だ疑問である。彼が戦後レジーム否定論者だけに、なおさら不可解なのである。それとも、家族観だけは、戦後レジーム肯定なのだろうか?
                         





【 産経新聞記事(2013.1.11 01:45)】
男女共同参画会議に教育学者の高橋史朗氏 伝統的家族観へ是正も 
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130111/plc13011101460004-n1.htm

 安倍晋三首相は10日、政府の男女共同参画会議(議長・菅義偉官房長官)のメンバーに、教育学者の高橋史朗明星大教授を起用する方針を固めた。高橋氏の起用は、「男女共同参画」に名を借りた、行き過ぎた性教育を容認するようなジェンダーフリー(男女の性差否定)や夫婦別姓制度をめぐり、民主党政権下で相次いだ伝統的家族観を崩す方向への動きを是正する狙いがありそうだ。
 高橋氏は「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長や埼玉県教育委員長などを歴任。現在は「親学推進協会」理事長も務める。埼玉県教委時代に日教組などから強い批判を受けたこともあるが、急進的なジェンダーフリー推進論者に真っ向から異を唱えてきた。
 同会議は、閣僚と地方自治体の首長や大学教授など有識者で構成し、有識者議員の任期は2年。経済評論家の勝間和代氏らが名を連ねてきたが、今月5日で任期が切れていた。今回の高橋氏の起用は、教育再生に力を入れ、夫婦別姓導入などに懐疑的な首相のカラーを前面に打ち出した人選といえる。
 男女共同参画をめぐり、民主党政権では平成22年10月の参院内閣委員会で、仙谷由人官房長官(当時)が「民主党夫婦別姓マニフェスト政権公約)に掲げ、党の方針にしてきた」と強調。同会議も、同年7月の第3次男女共同参画基本計画の策定に向けた答申で、選択的夫婦別姓制度の導入を強く後押しする内容を盛り込んでいた。
    


【解答乱麻】男女共同参画・教育を見直せ 明星大教授・高橋史朗
2013.4.6 08:18  
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130406/edc13040608190001-n1.htm

 2月末、久しぶりにテレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演後、約1カ月間、英米の5つの大学で研究調査を行った。幸い3月8日にニューヨークの国連本部で開催された「国連女性の日」会議を傍聴でき、世界各国の非政府組織(NGO)の動向も把握できた。

 3月27日、11女性団体と弁護士・有識者33人が、政府が私を男女共同参画会議議員に起用したことに反対する抗議文を菅官房長官に提出した。その理由は、「過去に男女共同参画社会基本法を否定する言動を繰り返し」てきたからであるという。同日の記者会見で、菅官房長官は「知見を参考にしたいと任命している。著書で男女共同参画に反対しているのでないことを明確に述べている」と、起用に問題はないとした。

 同抗議文には、「固定的な性別役割分業を肯定するだけでなく、性教育ジェンダーへのバッシングの急先鋒(せんぽう)として知られており、男女共同参画会議の議員としては極めて不適格であり…審議会委員就任における氏の言動が波紋を広げました」と書かれている。

 審議会委員就任というのは、荒川区(副会長)、東京都(2期)、仙台市を指しているが、「基本法を否定する言動を繰り返してきた」というのはとんでもないいいがかりにすぎない。

 私が反対しているのは、子供の発達段階を踏まえない「間違いだらけの急進的性教育」や行き過ぎたジェンダーフリー教育であって、固定的性別役割分業には捉われていない。「間違いだらけの急進的性教育」(黎明(れいめい)書房)を出版しただけで6カ月間自宅に無言電話を続けたり、審議会委員の就任に集団で反対したりするというファッショ的なやり方をくりかえすのはいかがなものか。異なる意見を認め、議論を尽くすのが民主主義のルールではないのか。「毎日ご苦労さま」と返答した日から無言電話は終わったが…。

 菅官房長官が答弁されたように、男女共同参画(社会基本法)に反対していないことは、拙著「これで子供は本当に育つのか」(MOKU出版)を見れば一目瞭然だ。

 男らしさ女らしさを否定、逆に過度に捉われる両極端を教育から排除し、男女が和合して美しい文化を築き上げてきた日本の精神的伝統の良さを生かしつつ、男尊女卑の差別意識と社会制度の欠点は変革し、男女が違いを生かし合い補い合って共に新しい秩序を創り、男女の「機会均等」を制度的に保障していくことが大切だ。

 美しい日本の文化の基層には、男女平等の視座がしっかりと根付いており、犬養道子はその著「男対女」(中公文庫)で、次のように指摘している。〈おぎないあうふたつの異なる存在としての両性の価値…ただ異性を標準として「戦いを挑む」のではなく、異性と異なる女性の特質をよりよく引き出す、もっと積極的具体的な発想法をうちたてねばならない〉

 「絆(ほだ)し」とは、鬱陶(うっとう)しいという意味であるが、その鬱陶しさを突き抜けたところに絆がある。「日本を取り戻す」ためには、男女が和合してきた美しい日本の心、精神文化を取り戻し、まず家庭基盤を充実し、家族・地域の絆をベースとして、自助・共助・公助をバランスよく整合させていく日本型新システムを構築し、男女共同参画社会やそれを実現するための教育の在り方について、抜本的に見直す必要があるのではないか。

【プロフィル】高橋史朗
 たかはし・しろう 埼玉県教育委員長など歴任。明星大学教育学部教授。男女共同参画会議議員。