盆踊りでの乱交を匂わせている森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』


森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は性の目覚めを描いた作品である。


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その歳の秋であった。
 僕の国は盆踊の盛な国であった。旧暦の 盂蘭盆 うらぼんが近づいて来ると、今年は踊が禁ぜられるそうだという うわさがあった。しかし県庁で 他所産 たしょうまれの知事さんが、僕の国のものに逆うのは好くないというので、黙許するという事になった。
 内から二三丁ばかり先は町である。そこに屋台が掛かっていて、夕方になると、踊の 囃子 はやしをするのが内へ聞える。
 踊を見にっても好いかと、お母様に聞くと、早く戻るなら、往っても好いということであった。そこで草履を 穿いて駈け出した。
 これまでも度々見に往ったことがある。もっと小さい時にはお母様が連れて行って見せて下すった。踊るものは、表向は町のものばかりというのであるが、皆 頭巾 ずきんで顔を隠して踊るのであるから、 さぶらいの子が沢山踊りに行く。中には男で女装したのもある。女で男装したのもある。頭巾を着ないものは 百眼 ひゃくまなこというものを掛けている。西洋でする Carneval は一月で、季節は違うが、人間は自然に同じような事を工夫し出すものである。西洋にも、収穫の時の踊は別にあるが、その方には仮面をかぶることはないようである。
 大勢が輪になって踊る。覆面をして踊りに来て、立って見ているものもある。見ていて、気に入った踊手のいる処へ、いつでも割り込むことが出来るのである。
 僕は踊を見ているうちに、覆面の連中の話をするのがふいと耳に入った。 識 しりあいの男二人と見える。
「あんたあゆうべ 愛宕 あたごの山へ行きんさったろうがの」
「嘘 うそを言いんさんな」
「いいや。何でも行きんさったちゅう事じゃ」
 こういうような問答をしていると、今一人の男が側から口を出した。
「あそこにゃあ、朝行って見ると、いろいろな物が落ちておるげな」
 跡は笑声になった。僕は きたない物に さわったような心持がして、踊を見るのを めて、内へ帰った


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盆踊りでの乱交



この話は明治維新の直後の話である。開国したのはいいが、日本の遊郭や金性神、雑魚寝や盆踊りの乱交風俗について海外から批判の声が起こっていた。明治政府は、不平等条約の改正を目標としていたので、日本の文明国化を進め、欧化政策をとった。そして未開国の証拠である性神の男根像や性風俗を改めようとした。

明治5年4月の『新聞雑誌』には、<裸体、肌脱ぎ、男女混浴、春画、性具、刺青ーいずれも厳禁>という東京府令が掲載されている。

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明治政府は、外国人の目を気にしてこの金精明神」を取り壊すようにたびたび布告を出している。

「金精大明神と号し木石を以て淫茎の形を造り、路傍などに立置など野蛮の風習慙愧の至り早々取り壊す可申云々」

これを受けて、金精明神」を江戸川に捨てたという記事が創刊されたばかりの『東京日日』新聞明治5年4月4日に掲載されている。「・・・件の陽物は底に土の重みがある故に、皆水面に亀頭を顕し・・・」という。

現代でも、陽物を担いだお祭りが残っているように、昔はこうした祭りが各地で盛んになされていたのだ。明治政府が多少の努力をしようと民衆に染みついていた乱交は容易に改まることがなかった。

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盆踊りという名前の乱交パーティもこうした淫乱の神々への信心と合わせて考える必要があるのである。