雑魚寝



雑魚寝について『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』の解説では

大勢の男女が入り交って雑魚のように寝ること。関西の花街で客と芸妓などが1室に寝ることをいったことから始った。大和の十津川 (奈良県) や山城の大原 (京都府) などでは,定日に一定の場所に男女が枕席をともにする民間習俗をいう。

と書かれている。

デジタル大辞泉』の解説は


名](スル)
1 大勢の人が雑然と入り交じって寝ること。
2 節分の夜などに、村の老若男女が神社などに集まって共寝した風習。《季 冬》

である。



相手を神に見立てて売春する風習は、古代世界には多く見られた。エジプトの聖娼は、あらゆる娼婦の元祖とされ、紀元前のアッシリアの神殿淫売はヘロドトスに記録されている。これらの神々の祭りでは、性交はその地方に伝わる豊作のための儀式であり、見知らぬ男女の営みが植物の生育に関わると考えられていた。

 【「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と肯定的に捉えられていた】という言い回しをする場合もあるが、おそらくこれらの性交儀礼の支配する世界ではふしだらという観念自体が育たないだろう。
民俗学のどこかの大家のように「ハレ」と「ケ」という分類なら「ハレの日」は思い切り性の祭典を楽しめる日の事なのである。

雑魚寝もまたこうした風習の一つであり、夜バイの風習と近似値がある。

オホクニヌシを祭神とする大国魂(おおくにたま)神社の闇祭り では神事として巫女舞神楽が舞われ、宮堂に選ばれた男女が御夜籠りして神を迎えようとする祭事と共に、真夜中の一定時刻には社地はもとより氏子の集落一帯は全部燈火を消し、雨戸を開放しておかねばならぬに約束事になっていた。別名「夜這い祭り」とも呼ばれ、参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許される」とされていた。いわば雑魚寝と夜バイがミックスした形だったと言えるだろう。つまり日本では祭りの夜は、性のエクスタシーに解放された夜だったのである。もちろんこれは古代においてはどこでも有ったことである。ただ日本の場合それがつい近年まで続いていた事に特徴がある。赤松啓介『夜這いの民族学の体験的記述によれば、昭和期の初めころまで、祭りの日には堂の中で多人数による「ザコネ」が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていたというが、これも稲神に対する神事なのである。
かし、こうした事例からは性交の儀式について少しも書かない辞書、事典の記事があてにならないのがよく分かる話である。