なぜ人には良心があるか?




        本当は誰でもやさしくなりたい
        それでも天使に人はなれないから

      『サイレントイブ』の一部  作詞・作曲 辛島 美登里 


人の良心はなぜ存在するのだろうか?それは言うまでもなく、人が悪事をしないためである。いわば法律のようなものが我々の中には最初から存在している。

もし、誰の心にも良心が無い世の中になったら・・・・?
想像するだに恐ろしい。
欲望に目が眩まない人がいない世界を想い巡らせばいい。男たちは機会がれば、隣に住む奥さんや娘を犯そうとし、欲しいものは殺人を犯してでも手に入れ、ありとあらゆる不法と犯罪が満ちて行くだろう。
まさに悪に満ちた世界が現出し、人類は自ら滅んで行くだろう。

良心があるという事はどういう事か?

悪事をしたら、良心の呵責を覚えるという事である。

昔、高校一年の時の話だが、デパートに友人と行くとその友人は面白半分にボールペンを万引きした。それを目撃した時の不安を私は今でも覚えている。結局その友人はボールペンをそっと返して逃げたのだが、その時感じた不快な不安感は生涯忘れない。

どんな小さな悪事も良心の呵責を感じるのが健全な心である。しかし、良心をマヒさせることも我々はできるだろう。悪事も何度かやれば馴れてしまってもう良心の呵責なんて感じなくなる。嘘もつき馴れれば平気であり、盗人や殺人さえ馴れてしまえば何も感じない。
何か感じるのが大切なのだ。痛みを感じる事が大切なのだ。

だから良心は我々を縛るものだが、これから自由になろうとしてはいけない。堕落とは良心に反して、罪を犯すことである。人々は自分の欲望のために罪悪に陥る。しかしその事には自分でも気づけない。おそるべき強欲な人も自覚的には自分は善人だと思っているものだ。そういう人も光の前に出れば、自分の姿に気づくこともある。

良心は我々の軌道を示す羅針盤のようなものだ。良心は神が与えられたままう羅針盤である。良心からの自由とは、悪の自由の事である。

悪事を続けている内に怪物が育ってしまうことがある。罪悪を犯す度に良心は麻痺し心の中に集積物のようなものが溜まっていく。その無意識の集積物はおぞましい怪物の姿をしている。だから悪事をやり続けて来た人は人相にイドの怪物が顕れて来る。
米国の心理学者たちは、刑務所を調査して、そのうちの何人かは良心が存在しないという。「サイコパス」という言葉は有名だが、そうならないうちに改心すべきである。

誰の人生にも、道行を変えるチャンスが何度も来る。そのチャンスに自分を罪から清めなさい。痛みがあって清められる。痛みを求めなさい。心が痛い時、人は涙を流すだろう。その涙に混ざって罪悪が流れおちて行く。

人は天使より、価値あるものである。