奴隷制について



米国の奴隷制については誰もが知っているだろう。私も子供のころ、『アンクルトムの小屋』を読んで涙したものだ。



しかし、日本人が偏っているのは、我が国日本の奴隷制についてはまったく知らないことである。安寿と厨子王ぐらいはたいていは知っているはずだが、つい80年くらい前までは、公娼制度(集娼制度という言い方もある)という名の奴隷制度が存在していたことについてはまるで知らない。

森光子の『吉原花魁日記』ぐらいは読むべきである。

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それから、奴隷制を始めたのはキリスト教ではない。事実を捻じ曲げたい人が多いようだが、古代の多神教文明であったギリシャ・ローマ文明の中で最も栄えた奴隷制は、やがて中世キリスト教社会では、ほとんど消えかかっていた。ところが、欲の皮がつっぱった商人たちは、人を売り買いする際の莫大な儲けに気付いた。

渡辺大(わたなべ だいもん)教授はこう書いている。

これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捉えたことであった。ムーア人とは現在のモロッコやモーリタリアに居住するイスラム教徒のことである。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取った。      (『人身売買・奴隷・拉致の日本史』p130、 渡辺大門    

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その頃のアフリカには奴隷制度に近いものが温存されており、その風習がヨーロッパに逆輸入されて行く。一方で当時のヨーロッパには、キリスト教文明とは異なる文化・文明が広まり始めていた。ルネッサンスである。ギリシア・ローマの文化を復興しようとするこの文化運動は、当然奴隷制度の温床となり得た。なぜなら、ギリシア、ローマの文化こそ奴隷制度が最も栄えた文化だったからである。人々は「神の前では平等」という言葉を忘れ、金儲けの前に膝を折る。彼らが愛すべき主なる神を捨て、マンモンの神バールにひざまずく。いやこの場合はローマの農耕神サトウウルヌスだろうか?

こうして魔女狩りとは別の意味の中世の暗黒社会が始まる。それは魔女狩りの裏面であり背景なのだ。なぜならルネッサンス古代ローマの淫乱な神々を蘇らせたからである。その神々の神話が広まるところには淫乱が広まっていく。そして同時に奴隷制が復活したのだ。

後に英国で奴隷解放運動を起こした熱心な福音主義ウィルバーフォースが何と戦っていたか?分かると言うものだ。彼は2度暗殺されかけたのである。

それから彼ら(ポルトガルの商人達)は、イエズス会の僧侶と共に日本に来た。するとその国には戦乱に明け暮れ、たくさんの奴隷がいた。その頃日本では「乱取り」という奴隷狩りがあった。戦争をして勝つと負けた側の領民を捉え、売る。藤木久志が研究書『雑兵たちの戦場ー中世の傭兵と奴隷狩り』を書いて以来、研究者にはたくさんの一次資料が知られている。例えば大量の女性・老人子供の奴隷狩りを記録した武田家の妙法寺記』甲陽軍鑑という資料がある。あるいは相良家の『八代日記』、伊達家の天正日記』、島津家分家の北郷久日記』、上杉謙信を描いた『別本和光院和漢合運』、信長の信長公記』、徳川家の『義演准后日記』・・・など山のように存在している。

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       「大坂夏の陣図屏風」(大阪城天守閣蔵。重要文化財
          「葵の紋」徳川軍の奴隷狩り

それは地獄である。雑兵たちは大阪夏の陣図屏風』に描かれているように、逃げまどう女子供を取り囲み、奪い取る。彼らが戦争に参加するのは略奪したものが自分のものになったからである。こうした遺伝子は確実に後の皇軍に受け継がれていた。

こうした中に欲の皮の突っ張ったポルトガルの商人たちがやって来た。彼らは、次々と戦争で分捕って来た奴隷を運びこんで来る。欲の皮が突っ張った者同士の人身売買が盛んになされた。

それから後2つ付け加えておこう。

渡辺大門 著『人身売買・奴隷・拉致の日本史』p155、p156によると、海外に渡航するために自ら奴隷になる者がいたという。これについては後日一次資料を提示していこうと思う。渡辺教授は「もらった金を懐にして、たちまち脱走するパターンが多かったようである。それゆえ、こうした人々はポルトガル商人から敬遠された」としている。
これは、奴隷の手足を鎖でつないだりはせずに、かなり自由にできたことを証明している。

もうひとつ。
渡辺教授によると、「(ポルトガルの)日本人奴隷は、年限が来ると解放された」(『人身売買・奴隷・拉致の日本史』p162)という。

こうした情報は、奴隷制について知っておかなければならないことである。次回か、次々回には、奴隷解放の歴史について書くつもりである。私の好きなウィリアム・ウィルバーフォースについても書けたらいいなと思っている。