日ユ同祖論 正論と謬説
日ユ同祖論 正論と謬説
日ユ同祖論者のバカげた説という題目で記事を書くつもりだが、すでに述べてきたように、私自身が日ユ同祖論者である。
けれども、根拠としているものがまるで違う。
のけぞってしまう。
アロンの杖 が 剣で
マナの壺 が マガタマで
石版 が 鏡だ
なんて言うのだが、一体どこに共通点が???
コジツケとしか言いようが無い。
これも重ならないが、まだ近いだろう。
このスキタイ騎馬民族の住んでいた本拠地は、カフカス山脈の東であり、記録によれば新バビロニアが滅んだ理由の一つは、このスキタイ騎馬民族の略奪、侵入であり、当然行動面積の広かったスキタイはアッシリアにも侵入したであろう。(ノアの子ヤペテ、その子ゴメルの子孫アシュカナズがスキタイ人であるという━歴代誌上1/6、エレミア51/27)
この時代10部族はスキタイと接触している可能性もある。
そもそもイスラエル10部族(10支族とも言う)は、創造主たる神を捨て、バアルを始めとする神々を崇拝したのであった。
従って日本の神々は古代オリエント付近の神々と共通点を持っている。
この事はすでにバビロニア学会の原田敬語が大正時代に指摘している。原田は『日本人シュメ-ル起源説』(大正7年)を発表して「創世神話であるイシュタル女神の冥界下りの神話が日本創世神話のイザナミの冥界下りによく似ている」など神話を比較しているのである。
私の記事でもイランのオセット神話との関連をあげているが、我々の先祖は現在の中東にいた事があるに違いない。
むしろ、おそらくオリエント各地の風習が見られるはずである。
例えば、お神輿だ。
これが、「モーセの契約の箱だ」なんて一体誰が言い出したのか?
しばしば稚児を神として練り歩く神輿の風習は「契約の箱」とは共通点が「箱を担ぐ」というだけでは無いだろうか?
さらに言えば、「剣山にソロモンの秘法が隠されている」とか「東北にキリストの墓がある」とか「秦氏は景教徒であり、八幡神(やわたかみ)はユダヤ・キリスト教の神ヤ-ウェである」など、いずれも根拠がなさすぎる。
「秦氏は景教徒である」は佐伯好郎(1871~1965)が唱えたが、すでに学会において、その時代考証の不適切さが指摘されている。景教は431年エフェソス公会議で「異端」とされ、東方に追いやられ、635年唐に入った。しかし秦氏は4~5世紀には日本に入っていた事が分かっており、時代が合わない。
さらに秦氏が全国にヤーウェの神殿(八幡社)を造るほど熱心な景教の信奉者であるなら、周りの人々に伝道したはずだし、一族1万人以上いた秦氏は少なくとも1000冊くらいの聖書を持っていたはずである。もし聖書写本が数冊しかなくとも、ヤ-ウェの神殿を全国に造るほどの信心なら、子弟にその神について教えたであろうし、それが文書化しているはずである。さらに全国の八幡神社に、その神の由来を示す碑文を立てたであろう。しかし今日まで古代日本に聖書があった証拠はないし、碑文も無いし、後世の秦氏の子孫に聖書やその信仰が伝わった様子もないのである。
さらに秦氏が全国にヤーウェの神殿(八幡社)を造るほど熱心な景教の信奉者であるなら、周りの人々に伝道したはずだし、一族1万人以上いた秦氏は少なくとも1000冊くらいの聖書を持っていたはずである。もし聖書写本が数冊しかなくとも、ヤ-ウェの神殿を全国に造るほどの信心なら、子弟にその神について教えたであろうし、それが文書化しているはずである。さらに全国の八幡神社に、その神の由来を示す碑文を立てたであろう。しかし今日まで古代日本に聖書があった証拠はないし、碑文も無いし、後世の秦氏の子孫に聖書やその信仰が伝わった様子もないのである。
つまり、最初から根拠が無いのである。
おそらく、それなりに科学的基準を求めているアミシャーブもこれらを根拠にする事は無いだろう。
という事を締めくくりとしたい。