日ユ同祖論   まとめ 3

                     ━(続きである)━
 
日ユ同祖論関係著作物一覧
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2011/5/18(水) 午後 1:06日ユ同祖論人類学と考古学  Yahoo!ブックマークに登録
 
年代   著 者   著 書    (出 版 社 )
1727 E・ケンペル『日本誌』
1875 N・マックレオド 『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房               日ユ同祖論の教祖的存在
1908 佐伯好郎 『太秦を論ず』 
1911 木村鷹太郎 『世界的研究に基づける日本太古史』                   大日本帝国妄想史家 
1928 酒井将軍 『天孫民族と神選民族』
『橄欖山上疑問の錦旗』 
1929 小谷部全一郎 『日本及日本国民之起源』 
1933 中田重治 『聖書より見たる日本』 中田重治全集刊行会                  ホーリネス教会主幹
1950 三村三郎 『ユダヤ問題と裏返しで見た日本歴史』 八幡書店
〃 〃 『世界の謎日本とイスラエル』 
1956 川守田英二 『日本へブル詩歌の研究』 日本へブル詩歌出版委員会            ちと妄想的
1971 手島郁郎 『太秦ウズマサの神』 東京キリスト聖書塾                 キリストの幕屋 創設者
1972 武智時三郎 『日本学とイスラエル』 思兼書房
1974 与那城勇 『琉球エデンの園物語』 
1975 M・トケイヤー 『ユダヤと日本・謎の古代史』 産業能率大学出版部     一度講演を聴いたが二度と
1979 鹿島昇 『倭人興亡史』他20数点あり 新国民社                 聞きたいとは思わなかった
1982 B・シロニー 『天皇陛下の経済学』 光文社
1982 小石豊 『失われた十部族の回復』 いのちのことば社                    よい本だった
1982 篠原央憲 『天皇家ユダヤ人』 光風社出版
1983 J・アイデルバーグ 『大和民族ユダヤ人だった』 たま出版             探求の情熱がある
1984 柞木田竜善 『日本超古代史の謎に挑む』 風濤社
〃 鹿島昇 『シルクロード天皇家』他数点あり 
1985 J・アイデルバーグ 『鰻と蛇ー大和民族ユダヤ人だったか』             探求の情熱がある
〃 松居桃樓 『消えたイスラエル十部族 柏樹社
1987 小石豊 『日本人とユダヤ人の連合を世界が怖れる理由』 光文社       それなりによい本だった
1988 曺世杖 『日本民族とその運命分水嶺』 
1989 淵江淳一 『神道イスラエル古代思想とキリスト教』 東京宗教研究所
〃 B・シロニー 『ミレニアムからの警告』 光文社
1990 川守田英二 『日本の中のユダヤ』 
1992 川瀬勇 『日本民族秘史』 山手書房新社
〃 水上涼 『ユダヤ人と日本人の秘密』 日本文芸社
〃 宇野正美 『古代ユダヤは日本に封印された』 日本文芸社
1993 B・シロニー 『ユダヤ人と日本人』 日本公法
1994 淵江淳一 『日本の秘義』 ライフネットワーク企画出版部
〃 小石豊 『日本・ユダヤ連合超大国』 光文社
〃 宇野正美 『古代ユダヤは日本で復活する』 日本文芸社                どんな脳みそ??
〃 佐藤熊三 『日本民族に秘められた謎』 聖書を学ぶ会
1995 久保有政 『古代日本にイスラエル人がやってきた』 レムナント出版
1997 ヴァンミーター美子 『幻の橋』 
〃 小石豊 『古代ユダヤの大預言』 
〃 宇野正美 『古代ユダヤの刻印』                                妄想史観と言う
1999 M・トケイヤー 『日本・ユダヤ封印の古代史』 
〃 畠田秀生 『古代ユダヤから21世紀の日本へ』 
〃 ヴァンミーター美子 『聖書に日本発見』                              面白い
〃 ケニー・ジョセフ 『日本の地蔵対ジィーザス』 
2000 久保有政/ケン・ジョセフ共編 『日本・ユダヤ封印の古代史②仏教・景教篇』 
〃 ケン・ジョセフ シニア&ジュニア 『十字架の国・日本』 
2004『英宣教医ベッテルハイム―琉球伝道の九年間』照屋 善彦、山口 栄鉄、 新川 右好
2005 ラビ・エリヤフ・アビハイル 失われたイスラエル10支族                    アミシャーブ
2006 エリーエリヤフ・コーヘン 『大使が書いた日本人とユダヤ人』 
2006 与儀喜美江 『沖縄の風習と聖書』 那覇出版社
2005~2006 畠田秀生 クリスチャン雑誌「ハーザー」2005年1月号~2006年12月号 24回シリーズ 『日本文化の中のユダヤ性』 マルコーシュ出版
2007 知念金徳 『沖縄風習とキリスト教那覇出版社
 
 
この中には、真実の探求よりも、儲け主義を優先した著作もある。
そういう著作は読んでも意味が無いので推奨しない。
真実は他の何よりも優先されなければならない。なぜなら真実は神の属性だからだ。
年代を赤く塗ったのは、とりあえず読んでいておいて欲しい本である。しかしその全てを肯定しえない。
はっきり言えば、日ユ同祖論関係著作物にはろくでもないものも多い。しかしガラクタに混じって正しいものもあるのだ。
        
 

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日ユ同祖論がまじめな研究者に無視されているのは、その内容に荒唐無稽なものが多すぎるからである。
一つ一つ、分別し、意味の無いものは切り捨て
考古学や歴史学の検証に耐えうるものにすべきである
 
 

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日ユ同祖論 正論と謬説
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2011/5/16(月) 午後 7:10日ユ同祖論宗教  Yahoo!ブックマークに登録 

              日ユ同祖論 正論と謬説
 
日ユ同祖論者のバカげた説という題目で記事を書くつもりだが、すでに述べてきたように、私自身が日ユ同祖論者である。
http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/2788225.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/2788985.html
けれども、根拠としているものがまるで違う。
 
例えば、”聖書と日本フォーラム” http://biblejapan.info/ の人たちが唱えている「古代イスラエル十戒の石板、マナの壺、アロンの杖は日本の三種の神器である」と言う説がある。
のけぞってしまう。
日本の三種の神器と言えば、天照大神から授けられたという鏡・剣・玉だが、どこをどう見ても共通点など存在していない。
 
アロンの杖 が 剣で
マナの壺 が マガタマで
石版 が 鏡だ
なんて言うのだが、一体どこに共通点が???
コジツケとしか言いようが無い。
 
だいたいユダヤ人はこれを ”三種の神器” だなんて言っていないし
さらに言えばスキタイ騎馬民族三種の神器の方が 日本の 三種の神器によく似ているのである。
スキタイ人の 三種の神器は 斧・盃・鋤 である。
これも重ならないが、まだ近いだろう。
 
このスキタイ騎馬民族の住んでいた本拠地は、カフカス山脈の東であり、記録によれば新バビロニアが滅んだ理由の一つは、このスキタイ騎馬民族の略奪、侵入であり、当然行動面積の広かったスキタイはアッシリアにも侵入したであろう。
 この時代10部族はスキタイと接触している可能性もある。
 
そもそもイスラエル10部族(10支族とも言う)は、創造主たる神を捨て、バアルを始めとする神々を崇拝したのであった。
その後、北イスラエル王国は滅び、捕囚にされた人々は、少なくとも300年はアッシリアに留められた。
アッシリアはアッシュール神の国であり、ゆえに彼らはここでアッシリアで信じられていた神々を吸収したであろう。
 従って日本の神々は古代オリエント付近の神々と共通点を持っている。
 
 
この事はすでにバビロニア学会の原田敬語が大正時代に指摘している。原田は『日本人シュメ-ル起源説』(大正7年)を発表して「創世神話であるイシュタル女神の冥界下りの神話が日本創世神話イザナミの冥界下りによく似ている」など神話を比較しているのである。
私の記事でもイランのオセット神話との関連をあげているが、我々の先祖は現在の中東にいた事があるに違いない。
 
つまり、日本の神道ユダヤ教の風習の痕跡が残っていたとしても、それはかなり失われていて、それほど多くは無いだろう。
むしろ、おそらくオリエント各地の風習が見られるはずである。
例えば”狛犬”は、古代オリエント全体に見られた王家の守護であり、特にソロモンの守護という訳ではない。
注連縄もユダヤ教というよりも、マリ遺跡などに見られる蛇の紋章から生まれたものだろう。(吉野裕子説)
 
 
例えば、お神輿だ。
これが、「モーセの契約の箱だ」なんて一体誰が言い出したのか?
しばしば稚児を神として練り歩く神輿の風習は「契約の箱」とは共通点が「箱を担ぐ」というだけでは無いだろうか?
少なくともモーセ出エジプトをモチーフとしているとは思えない。
 
さらに言えば、「剣山にソロモンの秘法が隠されている」とか「東北にキリストの墓がある」とか「秦氏景教徒であり、八幡神(やわたかみ)はユダヤキリスト教の神ヤ-ウェである」など、いずれも根拠がなさすぎる。
 
             秦氏景教徒である」は謬説である
秦氏景教徒である」は佐伯好郎(1871~1965)が唱えたが、すでに学会において、その時代考証の不適切さが指摘されている。景教は431年エフェソス公会議で「異端」とされ、東方に追いやられ、635年唐に入った。しかし秦氏は4~5世紀には日本に入っていた事が分かっており、時代が合わない。
 さらに秦氏が全国にヤーウェの神殿(八幡社)を造るほど熱心な景教の信奉者であるなら、周りの人々に伝道したはずだし、一族1万人以上いた秦氏は少なくとも1000冊くらいの聖書を持っていたはずである。もし聖書写本が数冊しかなくとも、ヤ-ウェの神殿を全国に造るほどの信心なら、子弟にその神について教えたであろうし、それが文書化しているはずである。さらに全国の八幡神社に、その神の由来を示す碑文を立てたであろう。しかし今日まで古代日本に聖書があった証拠はないし、碑文も無いし、後世の秦氏の子孫に聖書やその信仰が伝わった様子もないのである。
 
 つまり、最初から根拠が無いのである。
 
おそらく、それなりに科学的基準を求めているアミシャーブもこれらを根拠にする事は無いだろう。
 という事を締めくくりとしたい。