<カイン・コンプレックス>

 ユング心理学にはカイン・コンプレックスという言葉がある。
 コンプレックスとは、感情とイメージによって複合的に造られる心の中の存在である。
 
簡単に言うと、私達が人間関係の中で、自分よりも恵まれていると感じる人に、嫉妬と憎悪を感じるような時に、心の中で働く力の事である。
このカイン・コンプレックスにとり憑かれると、全てが嫉妬に歪んで感じられるようになる。
 
例えば、ある人(Aさん)が多大なる努力をしたのに成功できなかった。
他方において、さしたる努力もなくスルスルと成功していく人(Bさん)がいたとしよう。
そこでAさんがBさんに「いいなあ、Bさんは・・」と羨望したとしても、それだけでカイン・コンプレックスが働いているのではない。
 
しかし、羨望から、Aさんの心の中に殺意が湧いたとしたらどうだろう?
そして実行したら・・・
そういう場合、カイン・コンプレックスがその心にとり憑いていると考えられるのである。
 
人生の中で、羨望や嫉妬を感じる局面は、おそらくは多くあるだろう。
 
例えば幼児期
弟が生まれると兄の方は面白くない。
それまで自分が受けていた親の注目が、全て弟に取られてしまう、と感じる。
親の愛自体は減ってはいないのに、減ったように感じる。
今までいつも「やっくん、やっくん」だったのに、今はお父さんもお母さんも弟のユリカゴの前で「ゆっくん、ゆっくん」と言いながら微笑んでいる。
 
子供達の中には、こうした時に素直に「弟なんか、生まれなければよかったのに」と言う子もいる。
つらいね、お兄ちゃん。
 
それで、隠れて弟をつねったりする子もいるし、いじめたりする事もある。
兄としたらたまらない。自分の地位を脅かされているのである。
親の大切にしている壺を割ったり、それでもだめなら大怪我をしたり病気になってでも親の注意を集めようとする事もある。
これを「愛情要求行動」と言う。
 
 
さてでは、お兄ちゃんはどうやってこれを克服するのか?
それは親と一緒になって弟を可愛がる事によって克服して行くのである。
親と同じように、幼い弟を守り、弟に愛情を感じるようになる。
こうしてカインコンプレックスは克服されるのだ。
 
人間はすでに幼児期にアベルとカインの物語を断片的に体験し、克服する物語を生きているのである。
 
 
 
このカイン・コンプレックス命名は聖書のアベルとカインの話に由来する。
失楽園の物語の中に語られる人類最初の殺人ストーリー。
 
『あなたが、食べてはいけないと命じておいた木から食べたので、地はのろわれてしまった。あなたは一生苦しんで食を得なければならない。あなたは野の草を食べなければならない。あなたは額に汗して食べ物を得、最後にあなたは土に帰る。あなたはそこから生まれたのだからそこに還る。あなたは塵だから、塵に還らなければならない。』(創世記)
こうして楽園を追放されたアダムとエバが出産した初めての男子がカインであり、次に生まれた次男がアベルである。弟のアベルは羊飼い(遊牧民)となり、兄のカインは土を耕す者(農耕民)になって、神に捧げものをすることになる。
しかし神は、弟のアベルが捧げたものを受け取られたがカインが捧げたものを受け取らなかった。
憤ったカインは弟のアベルを殺害してしまう。
 
このエピソードから、兄弟間あるいは姉妹間に生じる『憎悪・嫉妬・敵対心・劣等感・優越感・侮蔑感・屈辱感・憧れ・殺意』のコンプレックス(感情複合体)をカイン・コンプレックスと呼ぶのである。
 
もちろん、多くの人が、このカイン・コンプレッスを核として集まり人間集団を作る事もある。
20世紀の共産主義運動に働いていた力の一つである。
 愛なき恨みと憎悪が作り出した思想。金持ち、資本家への憎悪を核としていた。
人類はかくも深く病んでいた。