菩薩の行い
大乗仏教においては、利他行を強調する。
これを殊更に強調したのが聖徳太子である。
太子の造った大阪の四天王寺に4院が造られ、薬草を栽培し与えたり、貧困者や病人を寄宿させ養い、あるいは修行と修養をさせたのも、この太子の思想から来ている。
太子は
『勝蔓経』の「財を捨すとは・・・・一切衆生の殊勝な供養を得るとなり」とあるのに対して
「語は少しく倒せリ。まさに殊勝の一切衆生を供養する事を得と言うべし」と説明する。
つまりは、経典の文句を恣意的に言い換えて、利他・奉仕の精神を強調しているのである。
行基は人々のために、山を切り開き、橋を架け、灌漑事業を行った。
この話は日本の宗教史の中でも私の好きな話である。
私はクリスチャンなのだが、私の中のキリスト教的感性は、仏教のこうした歴史に感銘と感動を覚える。
『三経義疏』はこの道慈が書いた・・・とか
聖徳太子は道慈の捏造である・・・とか言う説が、江戸時代からあり、最近でも唱えている者がいるが、道慈には、その後の仏教の流れを決定する『三経義疏』や書記の記述全体を捏造するような事は最初から不可能である。
他人の幸福を願い、奉仕する事が菩薩行である
聖徳太子という天才の理解力によって咀嚼され、吸収された仏教が、その後の日本の仏教の実践的方向性を決定したのであった。
それはキリスト教の「愛」の精神と少しも変わらないものなのである。
しかし、その太子仏教も1052年に始まった末法の世の中で、その実践力を失い、僧侶の堕落が相次ぐ中、新たなる天才が生まれた。
それが日蓮聖人であった。
ゆえにそれまで聖徳太子によって咀嚼された仏教が中心であったが、