鍋かぶりの日親・・・・日蓮宗の歴史をみよ

  日蓮宗の歴史を見よ  
 
               鍋かぶりの日親

日蓮宗の歴史には、六老僧や日興門流新6人、日像(1269~1342)、日尊(1265~1345)、日祐(1298~1374) 日奥不受不施派開祖、1565年~1630年)などの多様な人材が生まれたが、ここではその代表として祖師同様に国家諫暁(いさめ、さとす)を行った人物として、室町時代の俗称”鍋かぶりの” 日親(1407~88)について述べよう。

 1426年大法宣伝の願をかけた日親は命がけで諫暁をなす力を得る事を願って、100日間の100巻唱和、満願後、自らの指の爪をはぎ、そこに針をさし、さらに熱湯につける苦行を繰り返した。自身の覚悟を天に示したのである。
 時の将軍足利義教天台密教の中で育ったため日蓮宗に不快感を示し、2度目の諫暁において『立正治国論』を浄書し終える前に日親をとらえ拷問を加える。 炎天下の火責め、逆さつり水責め、陰茎の串さし・・・等々。
 後の天主教徒が受けた苦しみを日親は孤独に乗り越えて行った。
 ある日、庭に引き出された日親は熱湯を頭から浴びせられ、これが”鍋かぶりの日親”の由来となる。日親は「南無妙法蓮華経」の唱題を続ける。義教は「念仏を唱えろ」と命ずるが、屈さないので舌を切り取った。
 1441年6月26日、日親の「法華経の行者を苦悩させた罪業により、100日以内に災いが生じるであろう」との預言通り、義教は赤松満祐に殺害された。 洛中ではこのことが広まり将軍、諸臣、恐れをなし、日親を放免。
 こうして日蓮宗は京に弘まったのであった。
 
この日親などの篤信な日蓮宗徒達は、ユダヤ預言者達ととてもよく似ている性質を持っていた。