スエーデンボルグ

 
天界に入る生活の容易さ
 
天界に入る生活をするのは、一般に信じられているほどむずかしいものではない。自分では不正直で不正だと知ってはいても、その方向に心が動いて行くとき、それは神の教えに反しているから行ってはならない、と考えさえすればよいのである。そのように考える事に慣れ、その慣れから習慣を確立するなら、人間は次第に天界と結合していく。そして天界と結合すれば、心のより高い領域が開かれ、そこが開かれるにつれ、不正直や不正が何か見えてくる。悪が見えれば見えるほど、それを追い払う事ができる。どんな悪も見えるようになってはじめて追い払う事ができるからである。
人間は自由にこのような状態にはいることができる。実際そうであることを、誰が自分の自由から考えられないであろうか。人間が糸口を作れば、あとは主が人間に内在するあらゆる善きものを活気づける。すると人間は、悪が悪として見えるようになるだけでなく、その実行を思いとどまり、ついにはそれから離れるようになる。これが「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」(マタイ11/30)と言う主の言葉の意味でる。
 
(『天界と地獄』 スエーデンボルグ著 高橋和夫訳)
 
つまりは善の習慣がつき、(神様を中心として回転すれば)さらに善なる存在となり、驚くべき洞察力と叡智を発揮し悪の働きを見抜き、悪から離れ、天界に昇れるのだ・・・と言う。