戦前日本人が信じていた事、唱えていた事
象徴的(シンボリックな)言語から見た大日本帝国
八紘一宇
新東亜秩序
神州不滅
日本が危うくなると神風が吹く
皇居の上を敵機が飛べば堕ちる
無敵の日本海軍
日本軍は世界無比の精強な軍隊である
靖国で会おう
生きて虜囚の辱めを受けず
死して罪過の汚名を残すなかれ
内鮮一体
皇国臣民化教育
不逞鮮人・・・・・・朝鮮独立を企てる人達を日本の警察と新聞がこう呼んだ
特殊言動・・・・・・総督府の方針に反する言動の事
鬼畜米英
美学のように「玉砕」という言葉が使われたのである。
銃後の守り
欲しがりません勝つまでは
非国民・・・・・・・1940年、陸軍はこの言葉で国策に異を唱えた国会議員(斉藤隆夫)を除名においこんでいる
43年には中野正剛が非国民扱いされ自殺へと追い込まれた。
「特攻隊年頭飾る大戦果」1945年元旦記事
シンボル言語とは、情動を揺さぶるための言葉の事である。例えば太平洋戦争の始まりであった1941年の真珠湾攻撃を伝える記事には、起こった事実よりも「鬼畜米英」「我が無敵の皇軍」などのシンボル言語が並び、皇軍への誇り、優越感、米英への憎しみ、軽蔑の感情を鼓舞している。
新聞やラジオを通してこれらのシンボル言語が浸透したのである。
日本軍はヒトラーの演説を研究し、その使い方を覚えた。
「英語は敵国の言葉だから使用してはいけない」という国策
国家総動員法が公布された昭和13年(1938)ごろから、英語の追放がなされ始めた。為政者達の英語嫌いは相当なものでよく知られるのは、昭和18年(1943)のカタカナ野球用語の完全追放がある。
以下
ストライク→「正球」「よし」
セーフ→「安全」
アウト→「ひけ」
ファウル 「圏外」
スチール「奪塁」
ヒット「正打」
同年
サンデー毎日 「週刊毎日」
エコノミスト「経済毎日」
キング「富士」
昭和15年(1940)内務省は奇をてらう芸名に粛清を申し渡した
歌手のミス・コロンビア、ヂック・ミネ
などのカタカナ部分が槍玉にあげられ、改名させられた。
多くの学校では英語の授業自体が撤廃となった。
やがて敗戦直後、簡単な英会話の本である『日米会話手帳』がベストセラーとなった。
「鬼畜」は「ハロー」に変わった。
この時代確かに悶着(暴行、強盗事件)もないではなかったが、チョコレートやチューインガムと引き換えに物干し竿の赤い腰巻を首に巻き、颯爽とジープを走らせる米兵に大方の人たちは警戒心を解いた。(『ベストセラーの戦後史』井上ひさし著)
米兵を眼のあたりにして人々は改心したのである。
神国日本のみを尊しとし、生活の理想が国外にはあり得ないとする時代がようやく終わったのである。