賀川の生きていた時代

  賀川の生きていた時代はこんな時代だった。
 
(転載開始)

ドキュメンタリー映画「草の実」ー2.4事件の教師たち

http://www.naganoeiken.jp/kusa02.html


あらすじ
壺井栄の名作「二十四の瞳」の中に、主人公の大石先生が教材として、生活綴り方「草の実」を持っていたことで、危うく警察に引っ張られそうになる場面があります。これは1933年(昭和8年)、全国的に行われた思想弾圧によって多くの教員たちが一斉検挙された事件が背景になっています。全国で最も多かったのが長野県で、教育熱心な若い教師230名が職を奪われました。

● 新しい教育の風「信州白樺」
 時は遡って1920年代後半、「大正デモクラシー」の風は「信州白樺」教育を生み出すなどいくつかの運動を起こしていました。教師たちは生活綴り方や自由教育によって学校を活き活きしたものにしようとしました。
● 不況と貧困の中、手を尽くす教師
 29年には、ニューヨークで起きた株価大暴落が日本にも及び、大量の失業者が生まれました。繭の生産に依拠していた農家を直撃して、借金は雪だるまのように増え、夜逃げをする一家が続出しました。志と希望に燃えた教師の前にはボロ服をまとい、卒業を待たずに身売りされる子どもの姿がありました。空腹のあまり弁当を盗む事件が起き、教師たちは身銭を切って「腹いっぱい食べる会」を行いました。また、貧しさがどうして生まれるか、原因と解決の道を学ぶ「勉強会」に取り組みました。
● 貧困と戦争との矛盾に苦悩
 教師たちは貧困や戦争への足音が強く感じられるようになっていました。疲弊した農村の改良政策として打ち出された「満蒙開拓」への動員は、教育の世界でも強制力を持つようになりました。不況は教師の生活をも容赦なく襲い、給料不払いの学校が次々に現れ、労働組合をつくる話し合いが始まりました。しかし、この動きは稔りませんでした。
● 弾圧と戦争へ突入
 そして、1933年(昭和8年)2月4日。弾圧の斧が振り下ろされました。やがて、日本は、「戦争」への道をまっしぐらに突き進みます・・・。
● 戦後の教師たちの姿
 ・・・時代に翻弄され、若くして教壇から追われた教師たち。その戦後に多彩な姿を見ます。クリスチャンになって生きた高地虎雄さん。ユニークで自由な学校を大阪の羽衣学園で実現した河村卓さん。生まれた村の村会議員になってワンマン村政のお目付け役として大活躍した藤原晃さん。新聞を発行し市会議員として住民の暮らしと健康を護る仕事に打ち込んだ今村治郎さん。女性で唯一人2度の逮捕にもめげず転向を拒否し続けた矢野口波子さん。幼児教育の地平を切り開いた西條億重さん。白寿を迎え写真家であり童画家の熊谷元一さん。事件後、彼女を避けていた故郷で教育に打ち込んだ輪湖漣さん。・・・
● 彼らの想い、真実を真摯に見つめる
 「治安維持法」の名で、多くの熱心な教師が教室から追われてから今日で76年が経ちました。「事件」は、ごく真面目で意欲的な人々が標的にされました。なぜ防ぐことが出来なかったのか。これらの人々の無念の想いと激しい憤りの中で、二度と再びこの過ちを犯させないためには、ここに歴史の真実を明らかにし、これを正視することではないでしょうか。・・・未来は、そこから始まります。
(転載おわり)