日蓮聖人物語━蛇との闘い

 
 
                蛇(バアル)との闘い

 1253年32才の春、日蓮は諸国遍歴を終えて故郷の清澄寺に帰った。当時、日蓮の胸中にあった悩みは、この法華最勝の信念を口外せずにおくべきか?あるいはこれを胸中に秘めず人に報せて迷妄を破り、ブッタの本懐を教えるべきか?もし今これを言い出すならば3障4魔に責められ、生命にも及ぶであろうことは『法華経』の勧持品に繰り返し述べられているところ・・・しかしもしこのまま「言わずばこの人生は楽に生きられても、死後、必ず地獄に落ちるだろう」(『開目抄』)と行くも地獄行かぬも地獄の道ながら断固決意したのである。
 宗門の伝承によれば、この時、4月28日、日蓮は旭森の山頂に立ち、太平洋の彼方に昇る朝日とともに題目を唱え、法界に向って開宗の宣言をしたのである。

 その日の正午、日蓮は最初の説法を行い、「法華経最勝」を述べ、さらに諸宗の誤りを指摘し「ことに念仏は無限地獄の業、禅は天魔の法である」と痛烈に批判したのである。
 この説法は一同を驚愕させ、この地の地頭は熱心な念仏者であったので日蓮の言説を聞いて激怒、日蓮を殺害しようとした。難を逃れた日蓮は鎌倉におもむき松葉谷に草庵を結んだ。
 この鎌倉での初期の弘法によってしばしば石を投げられたが、日昭、日朗などの多くの信者を獲得したのである。