合掌行気法

 
の続き


 
エスキリストの奇跡やシャカの行った奇跡が、後世における捏造であると考えている人も多いだろう。
 
しかし、現代においても触るだけで、病を癒せる人が存在していると言う事は、イエスの奇跡もありえたのではないだろうか?
 
 
とりあえず、訓練してみよう
 
正座して
 
手と手を合わせる
 
少し離す
 
意識をその手と手の間に集中する
 
手のひらの間で呼吸をする感じだ
 
すると、手のひらに、ムズムズした感じ
 
電気が走るような感じ
 
暖かい感じ
 
風が抜ける感じ
 
などが起こってくる
 
これが「気感」である
 
ヨガで言うプラーナだ
 
しばらく続けていると自然に手と手が合わさる
 
そしたら充電終了である
 
合掌行気法という
 
そして患部に手を当てる
 
これは本能のようなものである
 
誰でも例えば転んで打ち身をすると思わず、その痛いところを手で押さえる
 
それは、手で押さえると治癒を促し、痛みを和らげる事を本能が知っているからだ。
 
「手当て」と言う言葉はそこから来ているのである
 


 
エスが病人に手を当てると病気が治った・・と言う記事が聖書にあるが、それはありえない事では無い
 
エスキリストが育ったナザレはシルクロードの西端に位置する商業都市で、東西の交流が盛んであった。
 
ゆえに、例えばインドの仏教の僧侶やヨガ行者が旅をして、導かれ、少青年初期のイエスに会って何らかの影
 
響を与えていた事も考えられる
 
というよりもおそらくそのような事があったはずである
 
エスより700年後に中東に生まれたマホメッドは、啓示を受けるまでの数年間、ヨガの瞑想のような事を洞窟で続けていた
彼が誰にそのやり方を教わったのか?
 
これも分からない事の一つだが・・・
 
 
「天に口無し、ゆえに他人の口を以って言わん」と啓天思想に言う
 
神様は人を導かれる時、しばしば、誰かに出会わせたり、その人物の口に語らせるものである
 
だから、神様がイエスマホメッドを導かれる時、誰かにであわせられたりしたのであろう
 


 
合掌行気が終わったら
 
病んでいる人の患部に気を送る
 
手のひらに意識を集中して息を吐く
 
そういうつもりでやる
 
気はイメージに従う
 
「気は心」と言う
 
また気は生命力の事である
 
ところが不思議な事に無生物にも効いたりする
 
テレビの映りが悪い
 
気を送ってみる
 
すると直る事がある
 
もっとも、そう言う場合の基本は電気屋さんに見てもらう事である
 
昔友人はオーディオ製品に愉気したら、音が良くなったと述べていた
 
しかし、こう言うのは主観の問題かもしれないし、科学的な話では無い
 
花を育てる時、気を送ると大輪の花を咲かせてくれると言う実験をした人もいる
 
自分でイロイロやって見て経験していくべき事である
 
 
参考)