タブーと悪魔の関係

 ユンク心理学では、「影」と言う概念がある。
これは夢の中では、色の黒い人の姿で顕されており、抑圧されたものやタブーの集まりであり、その人の心の中の陽の当たらない部分の象徴である。
 
ところが、「影」の概念には個人の心を超えた「民族的影」や「普遍的影」の概念がある。
「民族的影」とは、民族に共通する影でありや「普遍的影」とは人類に普遍的に存在する影である。
 
そしてこの「民族的影」や「普遍的影」の概念はもはや、キリスト教の悪魔の概念と変わらない。
 
ユング心理学の説明では、民族的影は民族の抑圧やタブーの塊である。
 
別の観点から言えばようするに、抑圧された内容やタブーの背後に隠れている霊的な存在があると言う事なのである。
 
だから、民族的に悪魔払いの儀式をやろうとするなら、タブーや抑圧内容をつついて見れば良いのである。
 
すると藪をつついてヘビが出てくるように、そいつが出て来る。
 
出てきたやろうは、藪をつついた人間に襲い掛かる
 
こうして迫害が生まれる
 
 
昔、日蓮がやった事はそういう事なのだ。
 
現代において日本民族意識のタブーと言えば、神道天皇制に関する事である
 
このブログの内容が知られていないのは、それがタブーに触れているからである
 
1991年議会において質問に答え「私の信じるところでは(昭和)天皇には戦争責任はあると思う」と述べた本島長崎市長(当時)は右翼に銃撃され重症を負った。
 
 
これはタブーの藪をつついたのである
 
 
同じ隠れキリシタンの末裔として本島氏の事は知らなくも無かったし応援に行きたかったが