なぜキリスト教は戦後広まらなかったのか?

 
「あなたがたは、地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」(マタイ5/13)
 
クリスチャンなら必ず知っているはずの、山上の垂訓における御言葉の一節である。
 
このイエス様の預言の通りの事が、日本キリスト教の歴史の中で起こったのである。
 
第二次大戦前、軍部の圧力によって結成された日本基督教団は、「教団信徒は神社を参拝すべき」と言う決議を降した。
 
このため、日本のクリスチャンの多くが神社を参拝し神々を拝んだのであった。
 
「神々を礼拝するべからず」と言う御言葉があるにもかかわらず。
 
そればかりではなく、軍部に要請されるままに、日本基督教団の統理・富田はワザワザ朝鮮にわたり、「朝鮮のクリスチャンは神社を参拝すべし」と言う演説をし、圧力をかけたのである。(37年)
 
つまり日本のクリスチャンはホーリネス上智大学生、灯台などによる抵抗はあったが、総じて神社を参拝し、神々と天皇を拝んだのであった。
 
 
このため、「地の塩」としての存在意義を失い、今日に至ったのである。
 
だから日本のキリスト教人口は、マッカーサーによる全面的な助力や、賀川豊彦による<血を吐くような>宣教・伝道の努力にも関わらず、戦後もほとんど増えなかったのである。
 
地の塩としての存在意義を失い、投げ捨てられて今日に至っている。
 
これが真理というものだ。
 
では、当時大日本帝国が植民地としていたお隣の韓国はどうだったか?
 
富田の説得に応じた勢力もいたが、多くが抵抗し、投獄又は殺傷された。
 
だが「地の塩」として信仰を守ったのであった。
 
ために、戦後キリスト教人口は爆発的に増えたのである。