魔との闘い

 
 友人にもらった聖教新聞にこんな事が書いてあった。
 

 
・・・釈尊日蓮上人も完成した境地に安住していたのでは無い。救済のため、一人の人間として、生涯の最後まで戦い抜かれたのである。
 大聖人が「日蓮智者に非ずと雖(いえど)も第6天魔王・わが身に入らんとするに兼ねての用心深ければ身によせつけず」(御書)
と仰せのように、悟りを得た後も魔との熾烈な戦いは続いていた。
釈尊や大聖人の振る舞いは、闘い続ける人こそが仏であることを示している。
 

 
いいじゃないか、創価学会
よく分かっている。
いろんな人が悪く言うけれども、私は必要があって生まれた教団だと感じている。
 
牧口常三郎が著作した創価教育の最初の出版物には、キリスト者内村鑑三の推薦文がかかげられている。
それはこの創価教育体系の価値を内村が感じていたからである。
それはキリスト教的でさえあった。