賀川の失敗・・・その1

 


より転載

海外では日本の20世紀を代表するクリスチャンと認められており、アメリカやヨーロッパで伝道を行っています。

また、戦前から「世界連邦」の設立を唱えたり、太平洋戦争前には平和使節として日米関係修復にも尽力したり、アジア諸国を巡回講演するなど、国際的な平和活動家として非常に有名です。

終戦後、蒋介石に「日本は憎い。それでも賀川先生が中国のために祈っていることを考えれば、日本を憎みきれない」と言わしめるほどでした。

彼の伝記は各国語に翻訳されて世界中で読まれているほどです(その数は1千万部以上とされます)。

また、いまの協同組合や共済の仕組みを考えた人でもあり、これで当時の貧しい農家や災害での被災者がたくさん救われてきました。

海外ではもっとも有名な日本人の一人で、よく「巨人」「超人」と形容される人ですが、今の日本では意外なほど知られていませんね。
 
転載終わり
 


 
50年代、アメリカで使われていた宗教哲学の教科書の一文は賀川について書かれていました。
 
「サンフランシスコからニューヨークの行く列車がトヨヒコ・カガワのような聖者を乗せていたとすれば、その列車は善なのである」

これは、ボストン大学の哲学教授E・S・ブライトマンが記したものです。
 
当時、賀川は20世紀世界の3大偉人として、ガンジーシュバイツァーと並び証されていました。
 
しかし、日本ではその後、賀川豊彦の名前は忘れ去られました。
 
何故か?
 
賀川豊彦大佛次郎吉川英治という3人のベストセラー作家は、ともに戦後になって戦争協力をしたという批判を浴びました。
ところが、大佛と吉川は戦後の知識人に許され、大衆にも受け入れられていくのですが、賀川豊彦のみが免罪されなかったのです
 
なぜ?
 
 
その答えをこれから書きます。
 
それは賀川豊彦が使命を果たす事ができなかったからです。
 
神様が与えた使命が賀川にはあったのです
 
そして賀川はそれを感じていた。
 
私はこの事を書きたくなくて今涙が出ています。
 
賀川は私にとっては兄のような存在であり、尊敬しているからです。
 
けれども書かない訳には行かない。
 
真実を明らかにする事は私の仕事なのですから・・・
 


賀川は1939年にガンジーと対談しました。
 
1939年1月16日、当時の日本において有名なキリスト教伝道師であり、社会運動にも尽力した賀川豊彦がバルドーリにガンジーを訪問した。
当時日本は中国に侵略戦争を開始していた。
この2年前、1937年7月盧溝橋事件を起こし、8月には第2次上海事変、海を越えて爆撃を行い、9月には北京・天津より南進を開始した。
11月には杭州湾に上陸し、蘇州攻略。日本軍は政府の指示を無視して戦線を拡大し、それを政府が追認するという悪循環に陥っていた。
そして12月1日には参謀本部は南京攻略を許可し、17日には日本軍は南京城に入場した。南京大虐殺を犯した。
翌1938年4月には参謀本部は徐州攻略を許可し、5月には国家総動員法が公布される。
日本の中国侵略はまさに泥沼化していった。
そういう状況の中でこの会談は行われた。

ガンジーは、まっさきに賀川から聞きたいと思っていた問題に話題をすすめて言った。
「戦争について、日本の人々の感情はどうでしょうか?」
「日本では私はむしろ異端者です」と賀川は答えた。
「私は自分の見解を述べるよりも、むしろあなたから、もしあなたが私の立場にいたなら、どうなさるかお聞きしたいと思います。」
「私の見解を述べるのは、僭越になりましょう。」
「いいえ、私は本当にあなただったらどうなさるか知りたいのです。」
「私なら自分の異端をきっぱりと公言して、撃たれるでしょう。
私は一方のハカリの皿に協力者の仕事と自分の仕事のすべてをのせ、
他方のハカリの皿には国民の名誉をのせるでしょう。
そしてその名誉が売られていることに気づいたら、自分の見解を日本に対して宣告します。
そうしながら、あなたの死を通して、日本を生かしめるように願うでしょう。
しかしこのためには、内なる確信が必要です。
私があなたの立場にいたとすれば、私がいま自分で言ったことが全部できるとは思いません。
けれども、あなたに求められたので、私の意見を申し上げたのです。」
「私の信念もそこにあります。
しかし、友人たちから思いとどまるよう懇願されています。」
「なるほどそうでしょう。
けれども、あなたの内なる友が『こうせよ』と命ずるとき、世の友人の言葉に耳を傾けてはなりません。
また友人というものは、どんなに良い友でも、時には私たちを結構だますものです。
彼らには、そうする他に説得のしようがないのです。
彼らはあなたに、生き延びて仕事をしてくれと頼むでしょう。
私が牢獄に行こうと決心したとき、同じ訴えが私になされました。
けれども、私は友人たちの訴えに耳をかしませんでした。
その結果私は、牢獄の4つの固い壁の中に閉じ込められたとき、自由の輝かしい喜びを見いだしたのです、
私は暗い独房にいましたが、それらの壁の内からはすべてが見えるが、、外からは何も見えないことに気づいたのです。」
 


この対談の中で賀川は、自分が何をすべきか気付いていた。
だからガンジーに相談したのである。
そしてその時、神はガンジーの口を通して賀川に「やるべき事をやる」ように告げたのである。
にもかかわらず、賀川はその事をしなかった。
 
賀川は日本と言う国に投じられた石であった。
しかし、その石は機能しなかったのである。
 
賀川はこう祈った
 
一粒の麦
「 天の父よ。今朝、われわれの醜い姿を新しく感じて恥ずかしいと思います。

  この後、あなたの道をまっすぐに歩ませて下さい。

  多くの兄弟姉妹たちが、過去の汚い自己を葬り新しく神に生きんことを誓っています。

  どうぞ、その決心を起こした兄弟たちが神に従い、十字架の血潮を、その生活に活かし、

  キリストのごとく勇敢になって、一生を貫くようにして下さい。

  われわれが、すべてキリストの血潮を浴びたものとして造りかえられ、

  一人一人が小さいキリストとなり、黙って人の尻拭いをする道を歩ませて下さい。

  あなたの栄光を現すために一生を棒に振る勇気を与えて下さい。

  今や日本は未曾有の危機の危機に臨んでいます。

  願わくは、われわれをして、日本の地に染み込ませ、

  新しい生命の芽生えしめる一粒の麦とならしめて下さい。

  貴い血潮を流すものとならせて下さい。

  われわれのために救いを完成し給しキリストによって祈ります。ア-メン。 」
   
                                    賀川豊彦(1888-1960)
 
 
私は何を言おうとしているのか?
 
賀川は失敗したのである。
救世の菩薩 としての使命を。
 
もし人々がそれを認めるなら・・彼は民族のメシア型人物だったのである。