2011-01-01から1年間の記事一覧

戦記,日誌、日記本 から見た軍慰安婦

朝鮮人慰安婦が出てくる戦記,日誌、日記本 1、慰安婦が出てくる戦記,日誌、日記本 1931年、満州事変において中国東北部を侵略して行った関東軍は、翌年には上海に戦闘を拡大し、この上海の地で初めて、軍慰安所を設置した。やがて軍慰安婦は、軍のいる…

『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』から分かる事

『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』から分かる事 すでに終戦の放送があった直後の話である。 15日夜、地区司令官は防衛招集を発令しようとした。召集の発令は軍の絶対権限であるが、令状の配達など、それを実施する事務は、朝鮮では警察に委任されていた。…

日韓共同宣言

日韓共同宣言1998.10 日韓共同宣言 -21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ- 1.金大中大韓民国大統領夫妻は、日本国国賓として1998年10月7日から10日まで日本を公式訪問した。金大中大統領は、滞在中、小渕恵三日本国内閣総理大臣との間で会談を行った…

総督府の土地政策ー。『世界各国史朝鮮史』 武田幸男

1906年公布の「土地家屋証明規則」などの法令により、朝鮮における日本人の土地所有は合法化された。日本人の土地所有は急速に拡大し、10年はすでに地主数2254人、69311町歩(田畑のみ)にも達した。(『世界各国史朝鮮史』 武田幸男 P237)…

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(前回からの続き) http://blog-imgs-49.fc2.com/k/u/r/kurokango/patan.jpg 3、バターンを忘れない ━ フィリピン ━ 戦後フィリピンで行われたアジア水泳大会で日本人選手がメダルを獲ったが、石を投げられたりして表彰台には立てなかった。日本選手団がが…

日本軍の体質

1933年から1945年の敗戦までの12年間になされた事 シリーズ テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史 http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-49.html の続き 1、軍隊内での私的制裁 日本軍の元祖・西郷隆盛がいみじくも示したように「…

朝鮮人慰安婦の話が載っている戦記、日記、日誌本

朝鮮人慰安婦が出てくる戦記,日誌、日記本 『ルソン死闘記』 友清高志著 1973年 1942年の春、満ソ国境の近くの小城子という町で独立守備中隊が駐屯し、軍専用慰安所があり、そこに「又春」と言う名の朝鮮人慰安婦がいたという。 『ある日赤紙が来て…

戦前日本人が信じていた事、唱えていた事

象徴的(シンボリックな)言語から見た大日本帝国 八紘一宇 大東亜共栄圏・・・・・・1940年、7月の閣議決定 大東亜戦争 新東亜秩序 神州不滅 日本が危うくなると神風が吹く 皇居の上を敵機が飛べば堕ちる 無敵の日本海軍 日本軍は世界無比の精強な軍…

「神天上の法理」の歴史

法華系では「神天上の法門」(しんてんじょう)と呼んで、神々不拝を説いた。 末法の時代には、護法の善神はことごとく天に上っており、空家となった神社には魔が棲みついているとする。 そのため神社を拝し神社に寄進することは、法華経をそしる謗法の大罪…

スエーデンボルグ

天界に入る生活の容易さ 天界に入る生活をするのは、一般に信じられているほどむずかしいものではない。自分では不正直で不正だと知ってはいても、その方向に心が動いて行くとき、それは神の教えに反しているから行ってはならない、と考えさえすればよいの…

行基菩薩の闘争

【続日本記】養老元年(717)四月二十三日条は、国家による仏教統制策として、当時の状況が僧尼令に反している事を三か条に分けて厳しく指摘し、その取り締まりを命じる詔を載せる。そこで糾弾されている内容は、令の規定によらない出家、すなわち私度僧…

かつて悪盛んにして天に勝つ時代があった

テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史 1、大日本帝国軍の意味なく子供を殴る体質 子供の頃の話です。 小松左京の『戦争はなかった』と言うSFを読んでいると 「理由もなく、上級生や教師に殴られ・・・」 「殴られっぱなしの少年期をすごし・・・」…

罪と罪の自覚について

1903年、ユングは一人の分裂病と診断された女性の担当医となった。 ユングは、彼女の見る夢について話す内に彼女の隠された過去を知るようになった。 このような過去だ。 彼女は結婚前に好きな男性がいたが、その男性は彼女に無関心だと思い他の男性と…

「創氏改名」の真実

1、 1982年、日本の文部省は、歴史教科書の検定に端を発した「教科書問題」の時に、次のような発言をした。 「創氏改名を強制したという記述については、これは法令上強制ではなく、任意の届出によるという建前であり、六ヶ月間に届出があったのが約八…

迫害

朝鮮総督府警務局図書課 『諺文新聞差押記事輯録(東亜日報)』昭和七年発刊 p.462~464より引用 東亜日報 昭和三年二月一日 普校生と小學生との衝突(論説) 一 朝鮮普通學校生徒と日本小學生徒との間に衝突が起った。そして朝鮮普通學校生徒一人が傷害致死…

聖徳太子は実在した

K氏への手紙 先日の対話の中で殊更問題なのは「聖徳太子はいなかった」と言う説です。 共通の見解として 「太子にはモデルとなった人物がいた」は正しい見解だと私も思いますが・・・ 確かに聖徳太子は当時別の名前で呼ばれていたであろうし 聖徳太子として…

司馬遼太郎が語る”あの頃”

『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版』を読んで 1、 当時を生きた人の証言として 「軍人がだいたい昭和11年ごろから天下を取ります。軍人は日本を支配していたのではなく占領していたと、かって書きましたが、今でも私はその実感を捨てきれません…

心━その未知なるもの

今から150年も昔、ジャルコーから催眠を習ったフロイド博士は次のような実験をした。 <後催眠暗示の実験> ある人を催眠状態にする。 この人をAと名づけよう。 催眠状態のAに暗示を掛けて 「眼を醒ましたら、窓をあける」と命じ、 さらに、「この命令を…

身体の中の数の話

私達は私達人間について何も知らないのですね。 もうホントにあきれるくらい何も知らない。 それでまずは身体の話をしようと思っています。 背骨の話です。 背骨って言うのは家で言えば真ん中の大黒柱です。 全体を支えている。 内臓に繋がる自律神経がいっ…

『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』を読んで

なぜ、書かれていないのか? この『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』(坪井幸生著)と言う本は、当時の朝鮮の実情を知る上ではあまり意味のない本である。 作者が警察官僚となった1938年以来の共産主義との闘いは書かれているが、それよりも総督府にとっ…

公式記録の穴

例えば、100年後の子孫の一人が、我々の生きているこの時代の記録を調べてこう言ったとしよう。 「あの時代、つまり20世紀の後半と21世紀のはじめ頃の日本では、売春やギャンブルは法律で禁止されていたので、ほとんど存在していなかった。」 これに…

「土地調査令」

http://mshks1318.iza.ne.jp/blog/entry/2124359/ http://www.tamanegiya.com/toti-.html などの最近の嫌韓論、反韓論者の主張によると、 朝鮮農民は我が国の統治により<農民はいっそう苦しい立場におかれた>などという事はない。ましてや朝鮮人の書くよう…

創価学会の地域集会

今日、隣の学会員に連れられて、学会の地域集会に参加して来ました。 ごく普通に挨拶したり、信仰の証を聞いたり、演説と歌を聴いておりました。 創価学会と言う宗教は、キリスト教とは遠い親戚みたいな宗教です。 創価の創設者、牧口常三郎の書いた『創価教…

明治・大正・昭和 光と影

明治・大正・昭和 光と影 テーマ:教科書では教えない日本の本当の歴史 1、不幸と幸福 昭和と言う時代は敗戦の他の時代に較べて、さまざまな意味 で幸福な時代であった。第二次大戦時の軍国主義の狂気や 空襲と原爆による被害、敗戦後の一時的どさくさ、混乱…

断食と肉と農耕と

夜中、ポンジュースが飲みたくなったので、買って飲んだ。 復食1日目 いつもなら復食は重湯で始めるのだが、今回は牛乳で始める。 朝は牛乳だけ 昼は牛乳とスープ 夜はスープとお粥 スープの出汁はイロイロだが、具は豆腐だけ 断食業界では、復食に断食と同…

近現代史の探求法

近現代史の探求法で最も大事なのは何か? それは、昭和初期くらいまでなら、当時を生きていた人の話を聞く事である。 今の20才くらいの若者達にとっては、おじいさんやおばあさんがギリギリ戦争を体験している世代だろう。 しかし、現在の核家族でたまに遊…

10日目

断食も正味後2日と数時間となった。 昨日は、歩くとふらついたが、今日はなぜだか腰が定まっている。 不思議だ。 簡単なヨガの体操と自律訓練法は毎日やっている 不摂生な生活のおかげで、身体が相当固くなっていて、前屈しても腹が足に着かないどころか、…

滅びるね

1908年、日露戦争の勝利に国民が”やれ一等国だ”と浮かれていた頃連載されていた、夏目漱石の『三四郎』には一つの予言がなされていた。 熊本から上京して来た三四郎と車中で知り合った広田はこう会話する <広田が呟くように、 「いくら日露戦争になって、一…

アフリカ

夜、ブラッド・ダイヤモンドと言う映画を見ていた デカプリオの主演で、アフリカでダイヤを巡る血の争いを描いた作品である 現在、GYAOでやっているやつだ 以前一度見ているので、ストーリーは知ってはいたが 中盤、難民キャンプのシーンで強い悲しみが私…

日本の七奪はやはり七奪だった

『在日朝鮮人の名前』(伊地知紀子著) に面白い事が書いてあった。 戦後、日本に帰化する者は日本名にしなければならないという取り決めがあったという。 1986年までは、帰化の仕組みはこうなっていた。 「帰化許可申請書」には「帰化後の氏名」を書く…